プロ入り後も石川と同じく1年目から5年連続二桁勝利をマークすると、2012年からはメジャーに挑戦。故障で思うような成績を残すことはできなかったが、カブス在籍時に5勝をマークしている。2016年に古巣であるソフトバンクに復帰すると、その後も層の厚い投手陣の中で存在感を示し続けている。また同世代は松坂大輔(元西武)の活躍もあって“松坂世代”と呼ばれたが、NPBで現役を続けている最後の選手となった。

 石川と和田は甲子園にも出場し、チームも強豪だったが、高校時代にそんな実績すら全くなかった選手でも大学、社会人で驚きの成長を見せる例は少なくない。投手でそんな例にピッタリ当てはまるのが浅尾拓也(元中日)である。出身は愛知県立常滑北高校で、これまで一度も甲子園に出場したことはない。ちなみに浅尾自身は捕手として入部し、チーム事情から2年時に投手に転向したが、在学中も目立った成績を残すことはなかった。

 そんな浅尾が進学したのは当時愛知大学リーグの三部に所属していた日本福祉大だったが、入学後にメキメキと力をつけると、2年春には二部昇格を果たし、最終学年となった4年秋にはチームを史上初となる一部昇格に導いたのだ(浅尾自身はこのシーズンで卒業となり、在学中に一部でのプレー経験はない)。三部、二部で150キロを超えるスピードを誇る投手がいることはにわかに話題となり、4年時のリーグ戦には多くのスカウトもそのピッチングを視察している。

 最終的には2006年に行われた大学生・社会人ドラフト3巡目で地元の中日に入団。プロ入り直後は先発も経験していたが、リリーフに転向するとリーグを代表するセットアッパーへと成長。2度の最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得し、2011年には中継ぎとして史上初となるシーズンMVP、ゴールデングラブ賞にも輝いた。その後は故障に苦しみ選手生命は短かったものの、その活躍はいまだにファンの記憶に鮮烈に残っている。

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高校時代はプロ入り想像できなかった阪神の大砲