大学時代の急成長からプロでも活躍した中日・浅尾拓也
大学時代の急成長からプロでも活躍した中日・浅尾拓也
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 昨年は史上稀に見るルーキーの当たり年と言われ、今年もそこまでとはいえないが大勢(巨人)などが活躍を見せている。主に1年目から一軍で活躍するのはやはり大学、社会人出身の選手が多いが、その中には高校時代までとてもプロ入りできるとは思えなかった選手も少なくない。

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 現役ではNPB最多の通算179勝(日米通算では楽天田中将大が185勝)を誇る石川雅規(ヤクルト)もそんなの選手の代表格と言える。中学では目立った実績はなく、一般入試で秋田商へ進学。高校3年夏にエースとして甲子園に出場したものの、当時は全く注目されていた選手ではなく、この甲子園出場がなければ青山学院大への進学の話もなかったと言われている。

 大学進学後も当初は左投手対策のためのバッティングピッチャーが主な役割だったが、持ち前のコントロールに加えてスクリューボールをマスターしたこともあって大きく開花。2年からは不動のエースとなり、大学3年時にはプロアマ合同チームで臨んだシドニーオリンピックの日本代表にも選出されている。この時のアジア予選でバッテリーを組んだ古田敦也(元ヤクルト)が高く評価したこともあって、2001年ドラフトの自由獲得枠でヤクルトへ入団。ルーキーイヤーから5年連続で二桁勝利をマークするなど先発投手陣の柱となり、40歳を過ぎた現在もローテーションの一角として活躍している。

 その石川が出場した夏の甲子園(1997年)、初戦で投げ合って敗れた和田毅(ソフトバンク)もよく似た経歴の選手と言えるだろう。高校3年夏には2年連続で甲子園に出場して準々決勝まで勝ち進んだものの、当時のストレートは130キロにも満たない程度であり、プロのスカウトからは全く注目される存在ではなかった。しかし早稲田大進学後にトレーニングとフォーム改良の成果から一気にスピードアップを果たすと、ボールの出所が見づらいフォームを武器に三振を量産。東京六大学野球史上最多となる通算476奪三振を記録し、2002年ドラフトでは超目玉としてダイエー(現ソフトバンク)に入団することとなった。

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無名校の無名選手からプロ入りしたのは?