「“ヤホー漫才”の原点はYMO」「自分にとっての神は、細野晴臣さん」と公言しているナイツの塙宣之さん。今年3月には『細野晴臣 夢十夜』(細野氏が見た夢を題材に、朝吹真理子、リリー・フランキー、塙が書いた短篇小説集)で小説家デビューも果たした塙さんに、細野さんの魅力を語ってもらった。
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1978年生まれの塙宣之さんが音楽家・細野晴臣を知ったのは、中学生の頃。実兄で芸人のはなわさんとともに、深夜ラジオ『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(1991年~1994年)にハマったのがきっかけだった。
「ラジオもハチャメチャで面白かったんですけど、そのうち(テクノグループの)電気グルーヴの曲を聴くようになって、その流れでYMOを知って。特に細野さんが作るフックのあるテクノに惹かれたんですよね。リズムが一定で、いきなり音階が変わったり、転調するのがとにかく気持ち良くて。もともとファミコンのピコピコした音が好きだったし、自分の体質に合ってたんでしょうね」
■ヤホー漫才のスタイルはテクノ音楽から発想した
高校時代はファミレスのバイトで貯めたお金でYMOのCDを買い揃え、はっぴいえんど(細野氏が70年代に参加していた伝説のロックバンド)や細野氏のソロ作品も聴くようになったという塙さん。
「佐賀に住んでいたので、1993年に東京ドームで行われたYMO再結成ライブには行けなかったのですが、ずっと細野さんの音楽を聴いてました。はっぴいえんどや、ソロの作品はYMOとはぜんぜん違うし、その後に細野さんがやりはじめたアンビエント(テクノと環境音楽を融合させた音楽)なんてわけがわからなかったけど(笑)、聴いてる時の気持良さは一緒でした」
2000年に相方の土屋伸之さんとナイツを結成。しばらくは売れない時期が続いたが、2007年頃から一気に注目を集めるようになった。そのきっかけは、現在のスタイルである“ヤホー漫才”を確立したこと。一定の会話のテンポをキープしながら、“塙が固有名詞を言い間違え、土屋がツッコミを入れる”スタイルは、細野のテクノ音楽から発想を得たという。