戦の際には「干飯(ほしいい)」を戻して食し、「武士たちは野草でも山菜でも木皮でも何でも食べた。足りないたんぱく源として、戦場でシカやムササビ、タヌキを狩って食べ、ハチノコや昆虫のさなぎも食べていました。平家が敗れたのは貴族が好んだ精進料理ばかりを食べ、力が出なかったからという説もあるくらいです」(加来氏)。
特に質素倹約が際立っていたのは5代執権・北条時頼だ。「徒然草」には、時頼が連署(執権の補佐役)の北条宣時と酒を飲んだ際、宣時が台所から味噌を見つけてくると、時頼は「事足りなん」と喜んだと書かれている。時の首相と大臣ともいえる2人のツマミとしてはあまりにも質素だろう。加来氏は「この時代の調味料はせいぜい、塩、酒、蓼酢(たです)、醤(ひしお)。味噌があれば十分でしょう」と言う。
「食」だけでなく「住」も「衣」も質素だった。
「住居はわらぶき屋根。男たちが自分で建てました。服も奥さんが機織りから作ったものを着るのが当たり前でした」(同)
明恵上人の伝記によると、時頼の祖父・泰時は畳も古いものを取り換えず、衣装も新しいものは求めず、烏帽子(えぼし)は破れたものを着用していたという。たくましい時代だった。(本誌・鈴木裕也)
※週刊朝日 2022年5月27日号