羽生は記者会見を終え、深く頭を下げた(撮影/写真映像部・東川哲也)
羽生は記者会見を終え、深く頭を下げた(撮影/写真映像部・東川哲也)

「パトリックと試合をするごとに、ただ負けるのではなく、負けた中で何を考え、自分の限界をどう超えるかを大事にしてきた。それが五輪のショート(プログラム)で通用したと思います。また4年、もっと高みへ向けて精進します」

がむしゃらさが戻る

 それからの4年は「現五輪王者として、(18年)平昌五輪で連覇するためにも圧倒的に強くならなきゃいけない」と言い、むしろがむしゃらさが戻った。20歳の誕生日を前に「20歳の約束」をこう答えた。

「僕はなにか目標をクリアしたらすぐに次の目標が出てくる。だから『常に課題を持ち続ける』です。20歳を過ぎても30歳になっても、何歳になっても、自分はここまでだとは思いたくない。出来ないことを克服し続けていきたいんです」

 その言葉は「プロのアスリート」への決意につながっていく伏線だった。

 15年NHK杯で計5本の4回転を成功させ、史上初の300点超えをマーク。絶対的な王者の時代を築いた。

「この322.40点の数字が自分自身へのプレッシャーになる。これが僕の新たな壁だ」

 平昌五輪シーズンには、人生最大の逆境が訪れた。17年11月に右足首を負傷し、連覇は未知数に。しかし五輪に向けて現地入りした直後、宣言した。

「自分にうそをつかないのであれば、やはり2連覇したい。どの選手よりも一番、勝ちたいという気持ちが強くあります」

 これは、常に言葉として口に出すことを大切にし、そして必ず実現させるという彼の手法。フィギュア男子では66年ぶりとなる五輪連覇は、幾重もの壁を越える経験の結晶でもあった。

「自分の中では平昌五輪で(連覇して)そこからがプロのスケーターとしてスタートと思っていました」

「最後の壁」4回転半

 羽生は当時、引退も念頭にあった。それでもアスリートの魂が「最後の壁」を設定させた。前人未到の4回転半だ。19年グランプリ(GP)ファイナルでは、初めて公式練習の場でチャレンジ。「まだ高さが足りない」と、うれしさと悔しさのまじる笑顔をみせた。難攻不落の頂に挑み続け、気づけば北京五輪が近づいていた。

「最終目標は五輪金メダルではなくて、4回転半を成功させること。現役やめるとか、やめないとかじゃなくて、4回転アクセル(半)を跳べないと、たぶん満足できないので、一生」

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