個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、先月17日に亡くなった演出助手・山田美紀さんがかけてくれた忘れられない言葉をつづる。
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1つ、ご報告。
ドラマ「ひきこもり先生」が、第38回ATP賞の奨励賞を受賞しました。
ツイッターでも触れましたが、この場でも。
この作品を創り上げるために関わったすべての人、そして観てくださったすべての方々に、心からのお礼を。
さて。
めでたき報告と同じ記事内で書くことに迷いがあったのですが、今日はどうしても書き記しておきたいことを。
僕は20代終盤の頃、自転車キンクリートという団体にいました。
演劇好き、特に80年代90年代に小劇場を観劇していた方々はよくご存知の団体だと思います。
この団体で僕は、舞台演出家の鈴木裕美さんの元、多くを学ぶことができました。
「多くを学んだ」というのは、もちろん主には演技に関してですが、それだけではなかった気がしています。
当時、僕は、本当に、本当にアンポンタンでした。
若い方々には耳慣れない言葉ですかね、アンポンタン。要するにかなりのおバカさんだったのですよ、僕。まあ、今の僕もそれなりのアンポンタンではありますが。
ですから当時、裕美さんや、他の先輩俳優さんから、よーく怒られました。
年々、人から怒られるのがしんどい歳になってきてますが、僕はこの、周りはみんな先輩で、毎日のように怒られていた時期があって、本当に良かったと思っています。
先輩たちは、もちろんそれぞれキャラクターの違う方々でしたが、みんなそれぞれに、なんというか、「いいなあ、こんな大人になれたらいいなあ」と思わせてくれる人たちでした。
そんな中、いつも裕美さんの近くにいるスタッフがいました。
俳優もスタッフも、みんな僕より歳上という状況の中、彼女だけ、僕より少し歳下でした。
もちろん演劇で、というかどの世界でも、歳にこだわり過ぎるのはあまり意味がないことだとは思うのですが、当時毎日のように先輩たちから怒られていた僕にとって、ただ1人、僕より若いのに、どの先輩からも一目置かれ、信頼され、おまけに裕美さんの考えを誰よりも深く理解しているような、その演出助手の彼女を、心底羨ましく思いました。