経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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政府が「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)」なるものを発表した。各種のメディアが、ほぼ異口同音に「分配は後退」「成長推進に傾斜」などと報じた。
この有り様を目の当たりにして、このテーマを取り上げるのはやめようと思った。ばかばかし過ぎて、時間の無駄にしかなりそうもないと感じたからである。だが、しばし時が経過したところで思い直した。やはり、敵情視察はきちんとやっておかなくては。どこがどうばかばかしいのかを、把握しておく必要がある。
というわけで、発表資料の全文を読んだ。確かに成長へのこだわりはすごい。「新しい資本主義においても、徹底して成長を追求していく」と大々的に宣言している。岸田文雄首相が自分の看板用語として前面に打ち出してきた「成長と分配の好循環」というフレーズは、34ページの資料の中に2回しか出てこない。メディアの報道の仕方と論評は当たっている。
ただ、全文を読んだ結果、もう一つ別の発見があった。それは、岸田首相をはじめ、この構想を提示してきたチームには、そもそも分配という言葉の意味が分かっていないのではないか、ということである。
分配は基本的に政策マターだ。市場任せにしておくと、分配の不平等が生じる。そのことで痛む人々が出てくる。この歪(ゆが)みを是正するために、政策が出動して所得の再分配にあたる。分配をテーマにするということは、所得再分配に向けて政策が何をするのかを考えることを意味する。そうであるはずだ。
ところが、今回の実行計画案では、分配が政策の課題としては語られていない。
企業が従業員や取引先に成長の果実を十分に分配していない。分配の「目詰まり」が生じている。そんな言い方になっている。この状態を是正するために政策が積極的に関与すべきだとは言っている。
だが、分配の主体として政策がより良く機能しなければならない、とは言っていない。当事者感覚が全く欠如している。アホノミクスへの先祖返りもさりながら、そもそも政策の使命という基本がなっていない。ここが、ばかばかしさの焦点だった。
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
※AERA 2022年6月13日号