大木優紀さん(撮影/加藤夏子)
大木優紀さん(撮影/加藤夏子)

 とはいえ、私はアナウンサーしか経験したことがなくてキャリアもとても偏っています。面接で「何ができますか?」と聞かれても、「人前で話すことができます」「原稿を読むことができます」など特殊なスキルばかり。パソコンスキルに至っては、メールとワードくらいしか使ったことがなかったので、IT企業への転職志望者としては、もう笑っちゃうレベルですよね(笑)。でも「令和トラベルのスポークスマンをやりたいです!」と熱意だけは伝えました。篠塚も私の応募にはかなり戸惑ったと後に聞きましたが、それはそうだろうなと(笑)。結果、熱意だけは伝わったのか採用してもらって、1月からは広報としてお仕事をさせてもらっています。

――テレビ朝日の同僚や上司に転職の意志を伝えたときは、さぞ驚かれたのではないですか。

 最初は私が社内で友達だと思っている5~6人にだけ伝えたんですが、「大木らしいね」という反応が多かった気がします。私が海外旅行が好きということは皆が知っていましたし、自分の気持ちの赴くままに生きているイメージがあったのかもしれません。上司の反応はさまざまでした。元経済部の上司は「どんなビジネスモデルの会社なんだ?」「その事業は成功するのか」とか調べ始めたり(笑)。私のダメな部分を知っている上司からは「大木はだまされている」と心配されたり、オンライン面接のみで入社することを伝えると「それは詐欺だよ」という人もいたりして、本当にいろいろな反応がありました。一回りくらい年上の上司は「大木くらいの年齢なら自分もチャレンジができたかもしれないと想像すると、すごくうらやましいよ」と言ってくれたり、「また戻ってきてもいいんだよ」と言ってくれる人もいました。皆さんの優しさを感じましたね。

――そうした言葉を聞いて、会社を辞めることへの未練や後悔のような思いはありませんでしたか。

 未練や後悔はありませんでしたが、やっぱりすごく寂しかったです。同僚や直属の上司には話していましたが、周囲のみんなには言えない時期が長かったので、その寂しさをかみしめながら、最後のアナウンサー生活を送っていました。私の最終出社日は、担当していた「スーパーJチャンネル」の最終出演日でした。番組でも最後にごあいさつをさせて頂いたり、社内各所を回ったりもしたので、最後の日までずっと気を張っていたような状況でした。だから、それまでは泣いたり、感傷にひたったりする時間もなかったんです。でもすべてが終わって、会社の荷物やお花などを夫が迎えに来てくれた車に積んで出発しようとした瞬間、自分でもびっくりするくらい泣いてしまったんです。これまでに経験したことがないくらいの涙の量でした。今でも、そのときの気持ちを思い出すと涙が出てしまって……。それくらい、やっぱり私はテレビ朝日とテレビ朝日で働いている人が大好きだったんだなと思いました。

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