社会人が全く経験のない異業種や異職種へ飛び込むことを「越境転職」という。今年1月、テレビ朝日のアナウンサーからベンチャーの旅行会社「令和トラベル」に“越境転職”したのは、大木優紀さん(41)。40歳を超えて、花形職業であるキー局のアナウンサーを辞め、創立1年目のベンチャー企業に飛び込んだ。テレビ朝日を退社した理由、新天地での驚きと葛藤、そして未来への希望……さまざまな胸の内を聞いた。
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――2021年の秋に大木さんがテレビ朝日を退社するとの報道が出たときは、多くの人が驚いたと思います。それも転職先の「令和トラベル」は、21年4月に創立されたベンチャー企業です。テレビの世界とは全く違う旅行業界に、それも創立1年目の企業に転職することはかなり大きな決断だったと思います。そもそも、なぜテレビ朝日を退社しようと思ったのでしょうか。
ここは勘違いされやすいのですが、40歳を過ぎてアナウンサーとして将来に悩んでいたから転職した、ということではないんです。私は03年にテレビ朝日に入社してから、本気で退職を考えたことは一度もありませんし、異動希望すら出したことがなかったんです。私はテレビ朝日という看板があるから番組に出させて頂いているという思いがずっとあり、フリーになるとか、ましてや異業種に転職しようなどという発想はまったくありませんでした。
40歳からの10年間はアナウンサーとして「名脇役」になりたいなと考えていました。私はキャスターとしてメインを張るタイプではないけれど、情報を整理して伝える、ニュースをプレゼンすることは好きだったので、それを極めていきたいと思っていました。20年9月からは月曜から金曜まで夕方の報道番組「スーパーJチャンネル」も担当していたので、そこで頑張っていこうと意気込んでいたくらいです。
――それが大きく変わったのが21年4月で、「令和トラベル」創業者の篠塚孝哉氏の「note」の文章を読んだことで、「もっとワクワクする場所を見つけてしまった」と過去のインタビューで語っています。このときは、アナウンサーとして描いていたビジョンを超えるような衝撃があったということでしょうか。
正直な気持ちは「両方やりたい!」でした。でもアナウンサーと両立できないことはわかっていたし、どちらかを選ばざるを得ないのなら、新しい道に進もうと直感的に思いました。「この人たちの仲間になりたい」「この事業の成功を一番近くで見届けたい」という熱い思いがどんどん湧いてきて、1週間後には応募フォームから入社の志望を伝えました。