山下達郎さんは1975年のデビュー以来、時代の風雪に耐える「理想の音」だけを求め続けてきた。今も歌い、ポップミュージックと向き合い続ける理由は。本人が語った。AERA 2022年6月20日号の記事を紹介する。
【写真】11年ぶり、通算14枚目となるオリジナルアルバム「SOFTLY」
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20代、30代の頃、僕らのようなミュージシャンの活動の中心はレコードでした。レコードを作り、コンサートで曲を披露して、レコードの売り上げにつなげる。でも2000年代に入ってから、CDをはじめとするパッケージビジネスが急速に衰え、近いうちになくなると予測していました。CDをビジネスの軸にして、音楽で生計を立てるのは難しくなってくる、と。でも懐メロシンガーとして、ディナーショーとかで食っていくのは嫌だった。じゃあどうしようかとなった時に、昔のようなスタイルに戻ろうと。そうして2010年ごろからコンサートに軸足を移し活動してきました。
■音楽を通じて交感する
僕の音楽制作は、自分の理想、僕が「イデア」と呼んでいるものを現実化する作業です。頭の中には最高のメロディーとサウンドがある。でも、そのギャップがどうしても埋まらない。世の中には「新作は最高傑作だ」と自信満々のミュージシャンもいるけれど、僕はまったく逆です。歌、作曲、演奏、編曲、どれをとっても自分の力量が理想に追いつかない。だから曲を作るときは何とか理想に近づけようと、いつも最後の一分一秒まであがいています。でも締め切りがあって、シャッターを下ろされて、しょうがないって諦める。最近は諦めがつきやすくなってきましたけどね(笑)。
音楽活動を始めた頃からずっと感じていることですが、僕のような性質の音楽は、観客との精神的な距離が近いんです。客席に座っている誰かが僕の代わりに歌っていたかもしれない。僕が客席で見ていた一人かもしれない。そういう類いの音楽です。僕にとって核となるオーディエンスはそういう人たちです。彼らのおかげで僕はこれまで続けることができた。コンサート会場で、オーディエンスと僕が音楽を通じて交感する。演奏する側と耳を傾ける側、両方が音楽をどう享受するかという、暗黙のコミュニケーションを交わしているんです。