プロでは遊撃での活躍を目指したが、思うようにいかなかった。直球に差し込まれる打撃の課題が解消されず、確実性が上がらない。外野の守備は1軍クラスだったが、遊撃はフィールディング、送球など改善点が多く1軍でスタメン出場を勝ち取る信頼感を勝ち取れなかった。プロ4年目のシーズン途中に、立浪監督は根尾と話し合った上で投手への転向を決断した。
回り道したように感じるが、まだ22歳。大学4年生の年だ。やり直すには決して遅くないことを、中日OBのレジェンドたちが証明している。黄金時代を築いた落合博満監督時代の強力リリーバーとして活躍した浅尾拓也(現中日2軍投手コーチ)と岩瀬仁紀だ。
浅尾はセットアッパーとして強烈な輝きを放った。最速157キロの直球と140キロを超える高速フォークを武器に三振奪取能力が高く、通算200ホールドをマーク。5シーズンで防御率1点台以下と安定感が際立っていた。11年にリーグ最多の79試合に登板し、7勝2敗10セーブ45ホールド、防御率は0.41で2年連続最優秀中継ぎ投手に輝き、リリーバーでは異例のリーグMVPに選出された。浅尾は生粋の投手ではない。高2まで捕手だった。テークバックが小さく腕の振りが速い独特の投げ方は「異色の経歴」が生み出したものだった。
また、守護神として史上最多の1002試合、407セーブの金字塔を打ち立てた岩瀬も愛知大の時にリーグ歴代2位の124安打を放ち、3年時に外野手で大学日本代表に選出されている。投手転向を決断したのは4年秋。当時22歳で決断のタイミングが根尾と奇しくも重なっている。
浅尾、岩瀬は投手としての完成度を高めてプロで入団しているため、根尾と同列に扱うことはできないかもしれない。だが、根尾も投手として大成する可能性は十分に秘めている。
「根尾はお客さんを呼べる数少ない選手です。スター性が凄いので結果を出せば盛り上がるし、投手陣の良い刺激になる。野手として結果を残せなかったので背水の陣であることは間違いないですが、注目度が高いので野手から投手に転向したパイオニアになってほしいですね」(名古屋の放送局関係者)
1年後、3年後、5年後…異例の挑戦でどのような進化を遂げているか楽しみだ。(梅宮昌宗)