玉川奈々福さん(撮影:御堂義乘)

 長嶋茂雄の自伝にこんな話が。川上哲治監督と試合を終えクルマに乗った時のこと。監督は浪曲のラジオ番組にチューニングを合わせ、「これでよし!」とご満悦だった。そんなエピソードに奈々福は「あの時代は義理人情の野球だったのかもしれませんね」

 浪曲の登場人物は「『便利』『お得』といった経済至上主義とは無縁な、非効率きわまりない人たち。(略)私はこの貴いオロカモノの世界が、とてもいとしい」(玉川奈々福『浪花節で生きてみる!』)

 筑摩書房に勤めていた頃、森毅、鶴見俊輔、井上ひさしらに出会う。「文学全集に携わって自分がつくづく未熟だと思ったんです。教養人のあまりの自由さに驚く日々。『この作品、どう思う?』と言われる怖さ。これは自分の感覚を養わないと。普通は本を読むんだろうけど」、見つけたのが朝日新聞に載っていた三味線教室の記事。「(蔵前の)会社のそばだし、通ってみよう」。これが運命の扉を開いた。

 浪曲は高度成長期に一度衰退した。「豊かになって、辛いことがなくてもすむと思い始めた。忘れたい過去を背負うのは浪曲。だから切り捨てられたんじゃないか」。それが再び脚光を浴びている。「時代とリンクしているんです。実人生で苦しみを抱えている。現実を忘れてほっと緩んで下されば。生きていて良かったと思って下されば。だから私は語り続ける」

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中

週刊朝日  2022年7月1日号

[AERA最新号はこちら]