TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。浪曲師・玉川奈々福さんについて。
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舞台の演者について、ステージ上では大きく見えたという常套句があるが、浪曲師玉川奈々福の場合、街で会っても存在は大きく、ミネラルウォーターで夏の喉(のど)を潤す姿さえ色と輝きに息を呑(の)んだ。それはきっと浪花節という伝統芸能を踏まえながら挑戦を忘れず、浪曲の花をさらに美しく咲かせてみせるとの気概に溢(あふ)れているからだろう。
GINZA SIXの観世能楽堂で「奈々福、独演。~銀座でうなる、銀座がうなる~」を観た。黒紋付で三味線を抱える曲師沢村美舟を従え、華やかなテーブル掛けの掛かった演台で節(ふし)と啖呵(たんか)を織り交ぜた浪花節には江戸の粋がまぶされ、千両役者の艶やかさだった。言葉と音楽を聴いた受け手がそれぞれに世界を作る。これはまさにラジオだ。
初めて見たのが浅草・木馬亭だった。席の後方に座った。浮いてはいけない。地元の客には大切な寄席なのだと直感したから。それでも開演前の二番太鼓にドキドキし、仲入りでアイスもなかを頬張ったりして下町風情を楽しむ中、いよいよ登場した奈々福の華やかな話芸では、真っ赤なルージュから繰り出される人情話の歓声が何とも賑(にぎ)やかだった。
そして今度は銀座に足を運んだ。「GINZA SIXといったら銀座のど真ん中。昔は歌舞伎座で浪曲大会が開かれていたけれど、今はないですし」と奈々福は言う。落語、講談、浪曲は三大語り芸だが、厳然とヒエラルキーがあり、浪曲は一番下。「もともとは大道芸だったから舞台に上げてもらえなかったんです。昔、浪曲が歌舞伎座にかかったあと、舞台の板が(鉋=かんなで)削られたなんて話もあったくらい」。だからこその大舞台。「観世能楽堂は響きが良いんです。場所が心を開いてくれる。どうぞ存分におやりって言ってくれている」