京都市電東山線と京阪電鉄京津線が平面交差する東山三条交差点の一コマ。市電から下車した老人客に系統番号を隠されてしまったのを悔いている。画面左端には観音開きドア仕様の「トヨペットクラウン」初期車のリアビューが写っていた。(撮影/諸河久:1964年8月3日)
京都市電東山線と京阪電鉄京津線が平面交差する東山三条交差点の一コマ。市電から下車した老人客に系統番号を隠されてしまったのを悔いている。画面左端には観音開きドア仕様の「トヨペットクラウン」初期車のリアビューが写っていた。(撮影/諸河久:1964年8月3日)

京町家の家並が賑わいを見せる東山三条

 最後のカットが東山線東山三条停留所で乗降扱中の1号甲系統千本今出川行き京都市電。1号甲系統は京都市電の主要な循環系統で、壬生車庫前→四条大宮→四条西洞院→四条烏丸→四条河原町新京極→四条京阪前→祇園→知恩院前→東山三条→野神社前→百万遍→河原町今出川→烏丸今出川→千本今出川→千本丸太町→壬生車庫前の経由で運行されていた。

 写真の700型は1958年にナニワ工機他1社で48両が製造された京都市電のエース格といえる新鋭車両で、軽量車体に浅い屋根、1m幅4枚折戸、明るいツートンカラーというルックスで古都に君臨した。車体長12.3m、定員86(32)名で、当初から車内灯に蛍光灯が採用されていた。

 軽量車体構造のために扉移設工事をともなうワンマン化改造を免れ、最後まで車掌が乗務していたが、市電が全廃された1978年を待たず、1974年に全車が退役している。

 画面手前は京阪電気鉄道(以下京阪電鉄)京津線の軌道で、東山三条の交差点で東山線と平面交差していた。電車線電圧(直流600V)や軌間(1435mm)が同じだったことからか、京都市電と京阪電鉄は昔から縁が深い。市電と京阪が平面交差する場所は京阪本線の四条京阪前、七条大橋、稲荷と、この京阪京津線の東山三条の四か所が挙げられる。

 左側の交差点手前で信号待ちしているスクーターが「三菱シルバーピジョン」で、ヘルメットなしで運転できた時代が懐かしい。大晦日のNHK番組「ゆく年くる年」の除夜の鐘でもお馴染みの知恩院は画面左奥に所在し、門前には知恩院前の停留所があった。

 市電の背景には洋品雑貨店、酒屋、靴屋、飲食店、質屋など市民生活と密着した「京町家」と呼ばれる木造二階建ての商家が軒を連ねていた。

 筆者が京都を訪ねた学生時代、第二次大戦の戦火を免れた京都市内で、京町家の家並は日常の光景だった。半世紀以上経た今日、京町家も市電の軌跡と共に昭和の憧憬となってしまった。

■撮影:1964年8月2日

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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