写真家・鷲尾倫夫さんの作品展「巡礼の道 オキナワ」が8月3日から東京・半蔵門のJCIIフォトサロンで開催される。鷲尾さんに聞いた。
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鷲尾さんが沖縄を撮り始めてから約10年になる。
ただ、それに対する周囲の反応はなかなかビミョーである。
「会社の写真友だちからは『お前、バカじゃないの。行っていくらになるんだ?』と言われる。で、『ぜんぜん、お金にはならないんだ』と。あと『沖縄に行く? ああ、趣味ね』って。でも、やり出しちゃった以上はね」と、苦笑する。
鷲尾さんは長年、報道の世界で名を響かせてきた。写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の創刊から2001年に休刊するまでの20年間、事件や災害の現場を取材するほか、政治家や俳優、スポーツ選手、脚本家など、時代の寵児や著名人を写してきた。
しかし、「FOCUS」時代は沖縄にまったく興味はなかったという。それどころか「『また、沖縄かよ』と。要は沖縄に行くのが嫌だった」。
「沖縄は撮り始める前から20回くらい行っているんです。野球の取材とかで」
当時はフィルムカメラの時代。取材で写したフィルムは那覇空港まで届けて東京に送る必要があった。飛行機の出発時刻とのせめぎ合い。いつも沖縄取材はイライラの連続だった。
「そんなわけで、ぼくは沖縄はダメだったねえ」と、振り返る。
■最初は人を撮れずに島を後にした
そんな鷲尾さんが沖縄を撮るようになったきっかけは、11年に那覇市で開催された沖縄を代表する写真家の一人、伊志嶺隆さんの回顧展だった。
「『トークショーをやるから来てくれないか』と言われたんです。伊志嶺さんとはまんざら知らない仲じゃあなからね。トークショーまで2カ月くらい時間があったから沖縄戦の手記も含めて歴史の本を8冊くらい読んだ。そうしたら、(ああ、俺は沖縄のことは何も知らなかったんだ)という気持ちが湧き上がってきた」
新たな気持ちで那覇空港に降り立ったのはトークショーの3日前、年明け間もない1月6日だった。