しかし、このような体験談を聞くことができたのはごくわずかだった。
「沖縄を撮り始めたとき、おばあさんに戦争のことを聞くわけです。そうすると、『腹が減って』とか、話をする人もいる。でも、大概は『忘れたさ』と言うんです。ぼくにはそれが『嫌だ』と言っているように感じた」
そのことが、すごく頭に引っかかった。
「沖縄戦の手記を読むと証言が断定的に書いてあるじゃないですか。ところが実際に話を聞くと、なんか違う」
なぜそうなのか? 理解できるようになったのは、ある日、衝動的にチビチリガマ(読谷村)という自然洞窟で一晩を過ごしてからだった。
「真っ暗闇のなかで、もう頭の中にいろいろなことが走ったんですけど。あの怖さの中で、ああだった、こうだったという記憶の残り方はしない、ということがわかったんです。そこで、自分が変わったというか、沖縄の見え方が変わった。それから戦争の話は一切聞かなくなった」
■「ぼくみたいな嫌なジジイはいない」
撮影のテーマを戦争体験者から沖縄の日常に切り替えた。
「その写真で何か、沖縄を語れないかと。そう思ったらアメリカ兵だろうが平気でね、撮れるんですよ。すると、日本はすごくいい、だから息子を向こうに帰したくないとか、そういう話も出てくる。カメラはね、そういう道具なんですよ」
路線バスに乗ってさまざまな場所を訪れた。「ここら辺には観光の人は来ないよ」と、おじいさんに言われつつ、その姿をカメラに収めた。「一杯飲め」と缶ビールを差し出され、足が止まったこともある。
よそ者である鷲尾さんにうさんくさそうな視線を向ける人もいた。それも沖縄の一面。シャッターを切った。
現地で知り合った人と沖縄について真剣に話をすることもあった。
そこで、「ぼくみたいな嫌なジジイはいないと思うんですよ」と、自らを毒づく。
「どのへんがですか?」と、問うと、「はっきりとものを言うからね。沖縄では嫌われますよ」。
しばし、鷲尾さんが体験したリアルな沖縄の話に耳を傾ける。どれも報道では伝えられないことばかりだ。
「だから、沖縄は難しいね」
そう言いつつも、鷲尾さんは「沖縄からはほんとうに学びましたよ」と繰り返す。
「人としての心遣い、相手に対する思いやり、やさしさ。そういったものを持ち合わせないと写真は撮れないんだな、ということ。だから、撮らせてもらうという、気持ちでカメラを差し向けないといけない。そこでいかに大事なものを切り取って持ってこられるか、ということなんです」
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】鷲尾倫夫写真展「巡礼の道 オキナワ」
JCIIフォトサロン 8月3日~8月29日