建物や構築物こそ道標に江戸は山を削り、海を埋め、台地を切り裂いて造成された人工都市である。だが、ヨーロッパのように自然を対象化し、幾何学的に整備するという発想も必要性もなかったので、自然の地形を活かしながら、ことさらに人工を主張せずに町がつくられた。そして木々と水に囲まれ、人間と自然の調和のとれた美しい都市が誕生した。
それにしては、色も様式も高さも好き勝手に建てられたビルが無秩序にならぶいまの東京に、江戸の美しさはほとんど受け継がれていない。
自然に寄り添うのは日本人の美徳であったはずだが、それがいとも簡単に忘れられたのは、自然との関係が神仏との関係と同様にゆるく、自然の中に潜む神を突き放して眺める機会がなかったことの裏返しでもある。
自然の秩序に目を向ける習慣があれば、町づくりでも、全体の調和にもっと目が向いたのではないか。庭園づくりに見られる、自然を人工的に再現するという発想も、自然のかけがえのなさに気づく邪魔になったのではないだろうか。
それでも東京にはいまなお江戸が残っている。明治政府による破壊にはじまり、関東大震災、太平洋戦争と、未曽有の厄災を重ねて被りながらも、上野東照宮、将軍家の菩提寺、根津神社、護国寺、東大赤門、随所に残る大名庭園、そして世界最大級の城郭たる江戸城……と、江戸時代の建築物や構築物は、意外にもいまに伝えられている。
繰り返すが、今日の東京は美しくない。肥大化した欲望が、あるいは道徳観の喪失が、そのまま具現化されたような街並みは、残念でならない。
しかし、いまに残る江戸の遺産は、在りし日の美しい江戸を思い描くための道標になる。それらを通して、水と緑に囲まれた美しい江戸の豊かさが再認識されれば、それを少しでも取り戻す余地が生まれるのではないだろうか。
香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。小学校高学年から歴史に魅せられ、中学時代は中世から近世までの日本の城郭に傾倒。その後も日本各地を、歴史の痕跡を確認しながら歩いている。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)がある。