■宗教の違いから見る自然との関係性

 江戸の遺産に即していえば、徳川家康も神になり、富士信仰では富士山そのものが神だとされた。各所に神木があるように、植物もまた神になった。

 キリスト教では神と人間、自然が明確に分けられ、人間や自然が神格化されることは決してない。

 ところが日本では、自然は神にさえなるのだから、自然を人間が支配し尽くすという発想も生まれないだろう。自然を使いこなすよう人間に厳しく求める神と、自然のなかに潜み、それどころか自然そのものである神。

 江戸城の本丸御殿が、狩野派の画家が描いた自然で鮮やかに飾られ、江戸じゅうの大名屋敷の庭園に銘木が植えられたのは、フィレンツェの宮殿の壁面に、人間の姿をした神々の事績が描かれ、庭園の池に神々の彫像が置かれたのと、同じことなのかもしれない。

 ただし、日本の神々と西洋の絶対神とでは、人間精神への厳しい支配力が比較にならない。日本の神々は人間にやさしいとさえいえる。神道は祟(たた)る存在をなだめることにはじまりながら、次第に現世利益を請う対象になっていった。

 個人の救済を担ったのは仏教だが、日本では神仏習合によって神と仏は明瞭には区別されず、少し雑駁(ざっぱく)な表現が許されるなら、神も仏も現世利益に結びつけて信仰されるきらいがあったと思う。

 そのうえ、江戸時代には主としてキリシタンの取り締まりを徹底するために、だれもが家単位で寺の檀家になる寺請制度が施行され、寺院も事実上、戸籍の管理者という実務的な存在になっていた。

 人はだれでも、やさしい存在には甘えがちになる。江戸幕府も寺社に甘えた結果、それらを都市の中心に置くよりは周縁に配置し、精神的にも実質的にも、江戸という都市を外敵から守ってもらおうとした。

 そうした環境下では、宗教が人間精神に与える影響は知れている。江戸が自然あふれる、よい意味でゆるい都市であった背景には、そんな事情も読みとれる。

次のページ