登録を外野手から投手に変更した中日・根尾昂
登録を外野手から投手に変更した中日・根尾昂

 逆に体の力を外に逃がすような形で投げていれば、故障のもととなる。どこかに負荷をかける投げ方になってしまうからだ。その意味でも、早めに2軍で投げ込みを行うなど、投手の投げ方を身に付けさせることである。

 その先のこととなるが、立浪和義監督、根尾本人がどこを目標に置くかということも大切だ。今は1イニングを投げる中で1軍打者と対する感覚を肌で感じてほしいということだろうが、将来的に救援投手として生きていくのか、先発投手として考えるのかである。

 ほとんど何も教えられていない状態で150キロを投げて、いくら初見とは言え、打者の空振りを取れるものはそうはいない。ダルビッシュ有が「伸びしろしかない」とSNSで発言したという報道を見たが、そのとおりである。いわゆる「野手投げ」でこれだけの球を投げているのだから。過去にも野手から投手に転向して活躍した選手もいる。オリックスに所属した嘉勢敏弘は私が西武監督時代に覚えている一人である。可能性があるかぎり、根尾も首脳陣も強い意志を持って、一日一日を大切にしてもらいたい。

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝

週刊朝日  2022年7月22日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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