学校に来た今西は、独自の観点で評価を与えた。
「速くないし上手くない。ただ、常に顔を上げてプレーしていた。当時のグラウンドは芝生ではなくて土。怖くて下を向く選手が多い中でいつも周りを見ていて、3列先にパスを出せたんです」
さらに惹(ひ)かれたのは、森保の「聞く力」だった。
「18歳の高校生が大人と会話をすると、照れや気負いがあってまず目を見ない。それから集中力が切れる。ところが、彼はいつまでもこちらの目を見て質問をしてくるんですね。これはものになるかもしれないと思ったわけです」
■6番目に拾われた選手 「モリ・ヤスカズ」と誤読
今西はかつてマツダの福祉課に勤務時代、7500人が暮らすマンモス寮の寮長を担っていた。「金の卵」と言われた中卒、高卒の若者たちと向き合って教育を担当していた経験から、非凡なものをやせっぽちの少年から感じ取っていた。
今西は会社に森保の採用を具申した。卒業後はどこでも良いからサッカー部のある会社でプレーしたいと思っていた森保にとって名門マツダに入社できるという僥倖(ぎょうこう)は願ってもないものだった。
しかし、秋になって状況が変わった。マツダの採用枠が6人から5人に減らされたのである。最後のひとりだった森保はこのままでは路頭に迷う。今西は社内を駆け回った。その結果、子会社のマツダ運輸に入社して選手登録をマツダで行うという妙案にたどり着いた。それでもいいか?という下田の問いに森保は即座に頷き、入社の運びとなった。しかし、18歳の少年にはつらい環境であった。サッカー部でただひとり、子会社の所属という現実は、否が応でも突き付けられる。同じチームにいながら、給与待遇も試合手当も他の選手とは差があった。毎日寮から出社してただ一人、違う職場へ向かう道のりが、自分は6番目に拾われた選手であるということを意識させた。すでに代表歴を重ねる同世代の選手たちがいる中、森保はここから2年、日本リーグ2部のマツダで一度も公式戦に出場していない。福田が言う「底辺」の時代であった。スタジアムのアナウンスでは、森保一をモリヤス・ハジメではなく、モリ・ヤスカズとしばしば誤読された。それがやがてモリポイチ、ポイチというあだ名に変わっていった。
まだ将来が見えない中、ここで何を考えていたのか。「考えていたのは、一日の練習で倒れるまで全てを出し切ることでした」。テクニックが無くても走ることは出来た。だから、日々の練習では完全燃焼することを考えた。当時チームの中心であった風間八宏は、こう見ていた。
「ポイチは自分が劣っているということをまず分かっているんですよ。そこから何をストロングポイントにすべきかというのを、整理していった。走るスピードは確かに遅い。かわりに反応の速さ、判断の速さ、そしてタックルに行った後に立ち上がる速さを磨いていった。彼と同期で入った5人の選手は入団時、それぞれに特徴があったと思うんですが、レベルが上がっていくにつれてそれが本当の長所にならなかった。逆にポイチはチームにおける自分の役割を自分で作っていった」
森保は3年目の大阪ガス戦でデビューを果たすと、満を持していたかのように、いきなり風間の目の前で2ゴールを決めた。今西は得点能力以上に森保の危機管理能力に驚いた。ここはサイドにパスを通されたら局面が変わる、縦を切らないとピンチになる、スタンドから俯瞰(ふかん)した目でピッチ上の展開を読んでいると、必ず森保が顔を出して相手の攻撃を遅らせ、危険な芽を摘み取っていた。広い視野を磨いて武器として携えたのである。
(文中敬称略)
(文・木村元彦)
※記事の続きはAERA 2022年7月18-25日合併号でご覧いただけます。