この4月から幼稚園に通いだした長男には、ひとつ不満があるようです。それは名前の呼ばれ方。幼稚園では男の子も女の子も一律「ちゃん」付けと決まっているのですが、長男は今まで家でも保育園でも「〇〇くん」と呼ばれていたためにちゃん付けを受け入れることができないようなのです。「〇〇くん、ちゃんじゃないもん!」と小さな頬を膨らませています。
幼少期からジェンダーロールを押し付けないという配慮なのか、それとも近隣の小学校では男女一律「さん」付けと決まっているようなので、その土台作りなのか。いずれにせよ、3歳の長男にそんな理屈は通じません。
英語だったらこんな問題に頭を悩ませることはないのに、と歯がゆい思いでした。英語では基本的に、幼い子は下の名前を呼び捨てするだけで事足りるからです。英語でも名前の語尾を変えて親しみを表すことはありますが(Elizabeth をBetty と呼んでみたり、 Jacksonを Jackie と呼んだり)、それは家族や友人のような親密な間柄で使われるあだ名、ニックネームであり、園や学校の先生が積極的に使うものではありません。それに「くん」「ちゃん」「さん」のような敬いの気持ちは込められていないと感じます。敬称を付けないことを呼び”捨て”というくらいですから、「さん」がないと名前を捨てられるかのような不躾さを感じます。
ところが呼ぶ対象が大人になると、「さん」を付けるほうが不躾に感じることもあるのが日本語の面白いところです。たとえばドキュメンタリー番組。バイオリンの音色を背景にナレーションが流れるところを想像してみてください。「いま日本のテレビで、この男の名前を見ない日はないといっても過言ではない。北海道が生んだ奇才……大泉洋さん。」なんて、ずっこけてしまいませんか。そこは「大泉洋」と呼び捨てじゃないと、奇才の神々しさみたいなものが失われてしまう。日常的な雑談でも同じです。「今週の小栗旬さんの演技よかったよね~」なんて友だちが言ったら、「小栗旬知り合いなの?!」って聞き返しちゃいませんか。