都知事が週末の外出自粛要請をした翌日、スーパーマーケットの買い物客は特に多かった。ふだんよりも男性客の割合が多いのが印象的だった。なかで八十歳前後と思われる高齢女性二人が、それぞれカートにカゴを積んで、野菜や魚、肉、缶詰、冷凍食品、パンなどをいっぱいに入れていた。その姿を後ろから見ながら、(ずいぶんたくさん買うんだなあ)と感心していた。私は数点ほど買って精算し終わり、サッカー台で持参のバッグに商品を入れていると、精算を済ませた彼女たちがやってきた。そしてレジ袋に食品類を詰めはじめたのだが、結局、ぱんぱんに膨らんだレジ袋が六個、台の上に置かれた。そして二人は小声で、


「持てないわ。どうしましょう」とこそこそと話しはじめた。

 あれだけカゴに物を詰め込んでいたのだから、それはそうだろうと、私は彼女たちはどうするのかと気になった。せめて満杯のレジ袋が四個なら両手に一個ずつ持てる。しかし六個もあったら、残りの二個はどうするのか。まさか口にくわえるわけにもいかないだろうし、たしかこの店は配達サービスはなかったはずだけどと考えていたら、やはりそのように店員さんからいわれて、二人は途方にくれていた。

 車や自転車で買い物に来ている人は別にして、徒歩の人は店の備え付けのカートで買い物をしてはいけないといわれている。手に持っているカゴだと重さがわかるが、カートだとわかりにくいからだ。みんなが知っていることだと思っていたが、そうではなかったらしい。きっと彼女たちは心配が先に立ってしまい、あれもいる、これもいると目についたものを、無意識に片っ端から買っていったのだろう。持てない分は、彼女たちの余分な欲だったのだ。自分への戒めとして、記憶に残しておくつもりである。

 スーパーマーケットに入ると、ドアのすぐ横に陳列されているものが、そのときの店のイチ押し、つまり一番売れるであろう品物が置かれている。私はそれを見ながら、いつも、なるほどと面白がっているのだが、最近、ずっと置かれているのが、パック入りのご飯、、レトルトカレー、カップ麺だ。餅は意外だったけれども、手をかけないですぐに食べられるし、主食にもおやつにもなるので、便利なのだろうか。パック入りのご飯だったら、湯煎だったら十五分くらい、電子レンジを使えば二、三分で食べられる状態になる。茶碗に移さなければ、食べた後はそのまま捨てればよい。しかしカゴいっぱいに、菓子パンのみを山積みにしている高齢女性を見たときは、
「それだけで体は大丈夫なのか」
 と心配になってしまった。人は不安なときには甘い物を欲するらしいので、それも影響しているのかもしれない。

 ふだんとは違う生活で家族仲が悪くなっている人たちもいるようだが、なかにはせっかく家にいられる機会なのだからと、前向きに考えている人も多い。興味はあったのだけれど、時間がなくてできなかったことをやってみようと、ケーキを作ったり、燻製をしてみたりと、料理に挑戦している人々もいた。休校中の高校生男子が共働きの両親のために、自分が料理担当になって、晩御飯を作ると決めたとか、子供たちが手分けして、野菜を切ったり、料理の下準備をしておくとか、みんなで協力したりと、うれしくなる話もいろいろと聞いた。

 子供たちにとっては、これまで親まかせだった食事作りや家事に、少しでも関わるのはとてもいい経験だろう。それが一時期だけのことであってもだ。それぞれの家庭の事情もあるだろうが、ただすべてを店で買ってそれを消費するだけでは、家族の間で何も生まれない。何があるかわからない今の世の中では、自分で何を作れるのかが、大きなポイントになってくるのだ。

暮らしとモノ班 for promotion
なかなか始められない”英語”学習。まずは形から入るのもアリ!?
次のページ