写真家・若山美音子さんの作品展「遠い呼吸 -曖昧な存在に問いかける-」が1月4日から東京・銀座のキヤノンギャラリー銀座で開催される(大阪は2月12日~2月17日)。若山さんに聞いた。
「写真は常に撮ることが大事」と、若山さんは言う。
いつもカメラを持ち歩いているんですか? と、たずねると、となりのバッグに手を伸ばし、中から標準レンズのついたデジタル一眼レフ、キヤノンEOS 5D MarkIIIを取り出し、見せてくれた。
「いいシーンに出合ったとき、カメラを持っていないと、すごく悔しいじゃないですか」
カメラを持たなければ目の前の光景が「すーっと通り過ぎていく」
悔いを残したくないから、出歩く際はいつもカメラを手放さない。それでも、シャッターチャンスを逃して忸怩たる思いをすることが少なくないという。
しかし、そもそもカメラを手にしていなければ、「いいシーン」に気づくこともなく、ただ、目の前を光景が「すーっと通り過ぎていってしまう」、とも言う。
「そんな風景を写し止める意識。カメラを持っていると、カメラの目線で景色を見て、考えるんです」
3年前に開いた写真展「True colors」では、新宿、渋谷、原宿などで600人以上に声をかけ、写したポートレート作品を展示した。
メリハリのきいた作品からは、そこで出会った人と写真の中で対面するような、生々しさと力強さを感じた。
しかし、今回の作品は、それとはまったく違う。写真から感じるのは遠くをぼんやりと見つめるような視線。近くに、はっきりと写ったものさえもそうだ。被写体を「見ている」という感覚を問われているような感じもする。
そんな作品を繰り返し見た後で、改めてタイトルの意味を考えると、「遠い呼吸 -曖昧な存在に問いかける-」というのは、よく練れた文章だと思う。
写真展案内にはこう、書かれている。
<時間の川は静かに穏やかに流れてゆく。身近な存在、遠く過ぎ去った存在。現実と幻、そしてそのはざま的な情景。静けさの中、距離感を感じながら暖かさも感じる>
なんでもない風景を「不思議」と思える感覚
作品展の出だしは、そんな感覚を象徴するような一枚(私が特に好きな写真でもある)。赤土の山肌を、近くから少し見上げるような角度で写している。地面には踏み跡が刻まれ、周囲には枯野が広がっている。少しカーブした踏み跡の奥には雲の多い空が写り、冷たく重い空気を感じさせる。
なんとなく見覚えのある場所だな、と思っていたら、富士山の好展望で知られる山梨県・三ツ峠山で写したものという。山頂付近で見つけたこの風景が、若山さんの意識に引っかかった。
なぜ、この景色に引かれたのか? たずねると、「すごく不思議じゃないですか」。
富士山に背を向け、奇をてらった写真を撮ろうとしたわけではなく(富士山もたくさん撮ったという)、この場所に素直な気持ちでレンズを向けている。この一見、なんでもない風景を「不思議」と思える感覚こそが若山さんの作品づくりの源泉なのだろう。
「私は『こういうものを撮りたい』と思った。そんな気持ちは、たぶん、誰にでもある。それが大事だと思います」
いわゆる風景写真やきれいな写真を否定しているわけではなく、「自分の内面を反映する、自分でしか撮れない写真、つまり写真作家としての『個性』というものをいちばんに大事にしたい」という気持ちの表れだ。
誰しも自分にしか撮れない場面、自分しか行っていない場所があるはず、と若山さんは言う。
しかし、それに気づくのは容易なことではない(というか、作家となれるかの大きな壁だ)。そう、問いかけると、「大切なのは、ほんとうに自分のイメージにのめり込んでいるか、ではないでしょうか」。