写真家・新井隆弘さんの作品展「END」が12月11日から東京・丸の内のエプサイトギャラリーで開催される。新井さんに聞いた。
新井さんは、自分の作品について、「あまり女子ウケはしないと思うんです」と言い、笑った。
「でも、酷道マニアとか、ダムマニアにはウケるんじゃないかな。そういう思いはありますね。男子には楽しんでほしいです」
作品に写るのは、「END」とある黄色い標識が立つ、ただの行き止まり。そこには何の変哲もない風景が広がっている。
「ここに住んでいる人にとっては、本当に『そのへん』でしかない場所です」
新井さんは2年ほど前、ニューヨーク市とその周辺を訪ね、約150カ所の「デッドエンド」を撮影してまわった。
殺風景な場所に三脚を立てて撮影していると、「よく、住人から質問されましたね。『何、撮っているの?』『もっと向こうにいい風景があるよ』って」。
そのときの、ちょっと困惑した新井さんの表情が思い浮かんだ。
――それで、なんて答えるんですか?
「アイム、デッドエンドコレクター(笑)」
「風景を採集したコレクション」という感覚
これまで新井さんは何度もニューヨークを訪れ、撮影してきたが、「作品としてまとまらなかった。こんなものが積み重なっていくのかなと、先が見えるのを感じてしまった」。
しかし今回は、「興味が尽きなかった」と、手ごたえを語る。
「この時代にしか撮れない、風景のドキュメンタリー」「風景を採集したコレクション、という感覚がある」とも。それが冒頭の「マニア受けするのでは」という発言に結びついている。
作品の並びは単純に道路の名称順で、そこにも「風景の採集」という標本的な感じが表れている。
冬に撮影した写真が多く、吹きだまりのようなアメリカの道路の行き止まりで目にするせつない光景がよく写しとられていると感じた。
作品を見ていくと、「END」標識がないものもある。理由をたずねると、「特に、サイン目当てで写したわけではないんです。デッドエンドの風景を見たかった」と言う。
ただ、標識のあるなしで、作品の見え方は変わってくる。標識があると、目は無意識にくっきりとした色と形に引きつけられ、それを中心に風景が展開する。逆に標識がないと、視線の動きが定まらないため、作品の印象が変わってくるのだ。
メイプルソープの作品に衝撃を受け、現代アートにのめり込む
もう一つ、気になったことがある。今回の展示のなかに、作品の流れとは関係のない写真家、ロバート・メイプルソープの墓の写真が入っているのだ。
それについては、「同じ思い、感情というか。それを感じたので、同じ展示室に置いてみるのはどうかな、と。ちょっと、実験的な感じですね。自分が影響されたものを、作品で返したいというか」。
新井さんは大阪芸術大学時代、メイプルソープの作品に衝撃を受けた。それ以来、現代アートの作品ばかりを見てきたという。
メイプルソープは1989年、エイズで亡くなったのだが、その3年ほど後、水戸芸術館で回顧展が開かれた。
「友人がここでアルバイトをしていたこともあって、オープニングパーティーにも入れていただいて。ああ、こういう世界があるんだと、強烈な印象を残しました」
現代アートとしての写真の存在が深く心に刻まれた。アンディ・ウォーホルやデイヴィッド・ホックニーが現代アートの一分野として写真を写したのに対して、「メイプルソープは写真の側から現代アートのほうに近づいていった感じがあります」。