都市に人の存在を入れることでドラマが見えてきた
そんな試行錯誤を繰り返しながら撮り進めていくうちに、「これに引かれている」、というものが見えてきた。
それは「夜景もそうだったのかもしれないですけれど、きらびやかな東京の建物とか、最先端の技術を使っている場所だった」。さらに、そこへ「人」を入れて撮り始めた。
「以前は人を画面から排除していましたね。『邪魔だな』という感覚があった。でも、そこに人の存在を入れることでドラマが見えてきた」
人に着眼すると、今度は色が邪魔になった。
「東京にはたくさん色があるじゃないですか。それがうるさすぎて、人が埋もれるなあ、と思って。試しにモノクロにしてみたら、人が浮き出てきたんです」
テーマを決めて撮ろうとすると、視野が狭くなってしまう
それ以来、ずっと近未来的なイメージで東京を撮り続けてきた。そのなかから毎回個展のテーマに沿って作品を選び、発表してきた。
佐藤さんは「撮影テーマを決めつけすぎちゃうと、うまくいかない」と言う。
それに気づいたのは、専門学校を卒業した直後、作品「都市の音律」がコニカミノルタ フォト・プレミオに入賞(2010年)したころだった。
「あっ、認められた、と思って、うれしくなって。で、そのとき、次はこれを撮る、というのを決めていたんです。ところが、まったくダメでしたね。何を撮っているんだ、という感じで」
撮ろうとしていたのは「モノ」だった。「例えば、iPhoneとか。そういうものに没頭している人」。しかしiPhoneショップやappleストアで撮ってみたものの、「こうじゃないだろう、これがやりたいんじゃない、と」。
「テーマを決めて撮ると、視野が狭くなってしまう。それが見る人に伝わるように、親切に撮りすぎてしまう。そうすると写真が説明的になって、面白みがなくなった」
これではダメだと思い、撮り方を元に戻した。感覚として引かれた東京を、漠然と撮り続けていくのが自分には合っている。そう、感じた。
新しいのに、どこかで見たような既視感
東京オリンピックに向けて大きく変貌する東京。いまも各地で再開発が進み、巨大なビルや商業施設が次々と建てられている。
「そういうところに引かれるので、そこでいろいろなものを撮ってみる。同じ場所を何度も訪れるんですけれど、人が変わるので、ぜんぜん飽きないです」
ただ、ふと自分がいまどこにいるのか、わからなくなるときがある。
「どこかで見たような既視感。新しい複合施設でよく感じるのは『また、同じ洋服店が入っているな』『同じパターンのつくりだな』と。つまり、定型になっている。そうすると、どこにいるかわからない、不思議な気がする。最近、そういう感じがずっとある」
新しいのだけれど、変わらない。合理的な指標に基づいてつくられ、均質化していく都市空間。
「それが、思春期のときに妄想していた現実と非現実の境界があいまいな世界、感覚とリンクしているような気がして。それを自然に撮っている気がします」
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】佐藤圭太写真展「トーキョーリアリティ」
ソニーイメージングギャラリー(東京・銀座)
12月11日~12月24日