今の若い人は、紅玉とか国光とかいっても、知らないだろうなあと思いながら食べてみると、ふっとラ・フランスのような香りが漂ってきた。もちろん洋梨のラ・フランスよりは堅いけれども、一般的なりんごよりは柔らかい食感で、高級な雰囲気のりんごだった。おみやげに、鳩サブレーでおなじみの、豊島屋の愛らしい「小鳩豆楽」までいただき、心から満足して、夕方家に帰った。

 すっぽんのお雑煮をいただいたせいか、ずっと体はほかほかと温かい。家に帰って、うちのおせちの蓋を開けてみると、食べられるものはたくさん詰まっているが、食べたいものがほとんどなかった。昼間に典型的な日本の美しいおせちを見てしまったので、よりその感が強くなった。

 晩御飯のときに、チーズのなかでは比較的好きなモッツァレラチーズが、直径一・五センチの球になっているものを二粒食べたが、やはり厚さ五ミリにカットされたゴーダチーズや、生クリームも入っているフォアグラのロワイヤルは、二口くらいしか食べられなかった。肉類もたっぷりありすぎて賞味期限内には食べきれず、保存容器にそれらを詰めて冷蔵庫に入れ、翌日から消費活動に入った。野菜炒めに入れたり、野菜のスープ煮に添えたりして、四日間かけてやっと食べきった。

 味はけっしてまずくなく、おいしかったけれど、糖質が少ない食材だけを詰めて、糖質制限おせちとするのは、いったいどうなのかとやはり疑問だった。私の期待が大きすぎたのだろうか。来年もおせちを頼むかどうかは、今のところわからないが、もし頼むのであれば、典型的な和食にしようと反省した。

 一部、自分で作れるものは作ったほうがいいのかもとも考えた。実家にいたときは、積極的におせち作りに参加したわけではないが、母がどういうふうに作っていたかは、うっすら覚えている。毎年、正月に十人以上の人を招き、手製のおせちをふるまう料理上手の友だちに、クリスマスの日に会った。

「おせち作りも大変でしょう」

 と聞いたら、ため息まじりに、

「そうなの。金柑はもう作ったんだけどね」

 といったので、そんなに早く準備するのかと驚いてしまった。一週間から十日かけて作っているのかもしれない。

 うちには来客もないし、自分一人分だけを作ればいい。しかし小さな重箱だけれど、そこにきっちりと詰めるとなると、品数が必要だ。新年早々間抜けだが、早すぎというか遅すぎというか、おせち料理の本を買った。今年の末にむけて、心を入れ替えて精進しようと思っている。

※『一冊の本』2020年2月号掲載

※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。

暮らしとモノ班 for promotion
なかなか始められない”英語”学習。まずは形から入るのもアリ!?