たぶん自分の先祖もキリシタンだった
田川さんの実家のある松島はキリスト教が布教された地域のほぼ中央にあり、その沖には平戸島や五島列島など、たくさんの島が浮かんでいる。
長崎県の地形は、離島もふくめ、海から山が盛り上がったような感じで、平坦地が少なく、急傾斜地が非常に多い。この険しい地形が周囲と隔絶した集落をかたちづくり、独特の宗教文化を生み出したという。
「海からしか行けない断崖絶壁に囲まれた村々。そこには政治権力が届かなかったので、彼らは生き残ることができたんです」
彼ら、というのは「潜伏キリシタン」のことだ(キリシタンはポルトガル語に由来するキリスト教徒のこと)。江戸時代、キリスト教は禁じられ、過酷な宗教弾圧が行われた。1657年、「郡崩れ」と呼ばれる一斉取り締まりでは、ほかの宗教信者を装い潜伏していたキリシタン603人が捕縛され、うち約500人が処刑、もしくは獄死している。
「父の実家のある西彼杵半島はもともと潜伏キリシタンの本拠地だったんです。でも、ほぼ全滅させられた。大村、長崎という政治の中心地に近かったからです。いま実家は仏教ですけど、おそらく、(改宗する前の)昔はキリスト教だった」
興味深いことに、潜伏キリシタンたちが世界標準のキリスト教と切り離されていた数百年の間、ガラパゴス的な環境下で伝承が繰り返され、彼らの信仰は独自のかたちに変化していった(タイムカプセルのように、中世キリスト教の原形をとどめた、ともいえる)。
そのため、彼らの一部は明治時代になって禁教が解かれても再びキリスト教徒になることを拒み、「かくれキリシタン」として生きる道を選んだ。
「かくれキリシタンは、寺とか神社の祭りを行いながら、キリシタンとしての行事もずっと、400年くらいやり続けてきた人々なんです」
海という視点で長崎の宗教をとらえた作品は見たことがない
ちなみに、長崎の宗教文化に引かれ、それを写しとった作品は、名取洋之助(※)の「キリスト教徒の村」(1935年)を始め、枚挙にいとまがない。特に2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産として登録された前後はそうだ。
(※名取洋之助は戦中、ドイツ流のグラフジャーナリズムを日本に広めた写真家。戦後は岩波写真文庫の編集長として日本各地を撮り歩いた)
「けれど、ぼくからすると、この地域はそれだけじゃない。うちの島は仏教だけど、向こうに見える島の住人はほとんどキリスト教、みたいな状況がこの狭く入り組んだ地域に混在している」
南アジアにはキリスト教、イスラム教、ヒンズー教と、村ごとに宗教が異なる地域があるが、それと同様な状況が長崎にはあるという。
「そのすべてが海を背景としてできている。海というのはすごく重要なパートなんです。でも、これまでの作品で、その視点が入ったものは見たことがない」
さらに長崎では「仏教徒も、キリスト教徒も、かくれキリシタンも、コミュニティーとして信仰を維持している」。それが長崎の宗教の非常に大きな特徴という。
「わかりやすく言うと、キリスト教の村では全員、キリスト教徒なんです。生まれたときからキリスト教徒。宗教が土地になじんで、本当に生活の一部になっている」
作品の一枚に、なにやら広場にたくさんの人が集まり、列をつくっている様子を写したものがある。
「これは聖母行列といって、福江島では5月の第二日曜日にマリア様の像を担いで行進するんです。その前に運動公園に集合しているところ。村ごとに教会があって、そのプラカードを甲子園の入場行進みたいに掲げている。それで、みんなでお祈りをしながら行進するんです。初めて見たときは、かなり衝撃を受けました」