■若松孝二から教えられた映画は「権力側から描くな」
あるとき、若松が助監督を探していると聞く。若松は60~70年代に「暴力革命」を妄信する若者たちや、犯罪やセックスを積極的に描き、一部で熱狂的人気を得ていた。ずっと若松作品を観てきた白石は、まっさきに手を挙げた。
95年、白石は東京・代々木にあった若松プロに通うようになる。出会った当初に若松から言われたことを今も覚えている。
「おまえ、誰か殺したいやつはいないのか?」
若松との仕事は大変だった。助監督として現場に入って間もなく、白石はミスをしてしまった。若松からは「俺の視界に入るな!」と怒鳴られた。それからも、「お前、集中力がない」「なんでできないのか」と、白石としてはしっかりやっているつもりでも怒られた。理不尽だと感じることもあった。若松は思ったことを何でも口に出してしまう人だった。何人ものスタッフがやめていく中で、白石もまたやめようと思う日もあったが、少し経つと「メシ行くか」と若松が声をかけてくる。憎めない人でもあった。
若松プロに専属で所属した2年間で、白石は若松から「権力側から描くな」と徹底的に教えられた。
「ぼくが若松プロに入った時期が遅かったせいもありますが、暴力革命を賞賛するような空気はなかったし、ぼくもそれに共感したわけではない。若松さんも、暴力による革命は、内ゲバのように別の暴力を生み出してしまうことを知っていたと思う。世の中で起きていることをちゃんと描き、怒りとやさしさを持ち、悲しめる人間たれということを教わった」
その後、行定勲(51)や犬童一心(59)などの作品にも携わり、10年、白石は「ロストパラダイス・イン・トーキョー」で長編映画の監督デビューを果たす。映画を観た若松からは「よかったよ」と声をかけられた。13年、「凶悪」で数々の映画賞を取ると、白石はアウトローを得意とする監督として一気に認知度を高める。「凶悪」で脚本を担当した高橋泉(46)は、白石をこう評価する。
「若松さんが直に権力に向かい合っているとしたら、白石さんは権力に翻弄される人や、多層化して複雑化した社会を介して権力というものに向かい合っていると思う」
高橋が白石と映画のロケハンのために、ある殺人事件現場に行ったときのこと。ふと、白石の姿が見えなくなった。捜すと、白石は被害者が殺害されたであろう場所に手を合わせていたという。
「本気で向き合おうとしているなと思った。ぼくらは撮り終えたら忘れていくものですが、彼はそうじゃないなと。ニュースで死刑執行のテロップが流れると、白石さんは“どきっとする”って言ってました。自分が映画で描いた事件の加害者じゃないかと思うそうです」
■暴力は時代で変わる、時代に合った撮り方を
若松プロの先輩で、映画監督の井上淳一(54)は、白石の自伝的短編映画「マンドリンの女」を例えに出して、白石をこう分析する。
「両親のケンカが絶えなくて、お母さんがいつも酔っ払ってる家族が描かれてます。けれども、そんな家庭は“普通”じゃないという、社会の価値観に圧倒的な違和感があるんじゃないかな。普通の家族っていったい何だっていう。どんな家庭もどこかいびつだし、“普通”だと思っている日常の、薄い膜を隔てたところには常に暴力が隠れている」