これまでの仕事や付き合いをすべて捨て、小林は子育てに向き合った。ヘビースモーカーだったのに煙草をやめた。お酒も飲まなくなったし、遊びに行くこともなくなった。脇目もふらずに子育てに没頭した。

「それまではマネージャーが車で迎えに来てくれて、コーヒーも出してくれる生活。それが子どもが泣けばおむつを替え、子どもを抱えて右往左往。カトリーヌ・ドヌーヴやドミニク・サンダのように、子どもを持ちながら働くフランス女優が理想でしたが、そんな子育ては夢のまた夢。仕事がどんなに楽だったか、と思いました。でもそんなことを考えている暇もない。子ども以外はどうでもよくなりました」(小林)

 朝6時半に起きて弁当を作り、子どもを駅まで車で送る。週2回くらいは学校の仕事を手伝い、午後は学校に迎えに行き塾やお稽古ごとに送る。子どもを待っている間の書店巡りが楽しみだった。夜ご飯、お風呂、宿題……子どもが寝たらようやく一息つく。出かけるのは西友かイトーヨーカドー。平凡に思える日常が、小林にとっては怒濤の日々だった。
「子どもが中学生になったら肉体的には楽になりますが、思春期に入って精神的に大変になってくる。それが一段落したら大学受験。復帰など、考える暇もありませんでした」

 
 ■息子の背中に見た未来、厳しい父と明るい母

 人間関係は、子どものママ友、親戚、あとは15年ほど続けている日本画教室の友人くらいだった。日本画教室は、小林にとっては居心地がよかった。神奈川県小田原市の老舗かまぼこ店「鈴廣」の社長夫人である鈴木憲子は、教室での友人のひとりだ。

「どこかで見たことがあるなと1時間半の授業の間中、ずっと考えて。『もしかして、小林麻美さん?』と聞いたら、『えー、そうなのー』とケラケラッと笑って、とっても気さく。お化粧も薄くて、髪の毛も急に黒ゴムできゅっと留めたり」

 時に悩み事を相談することもあった。
「アドバイスの言葉がすごくて、適材適所のいい言葉、胸にはまる言葉をくれる。本が好きでしょうがないから、すごく言葉も知っている」(鈴木)

 そんな子育ての日々もついに終わる。大学を卒業し就職した息子の初出社の日。自宅から出社する背中を見送った。息子は小林の母が亡くなった際の葬儀で着たスーツを着ていた。天気が良い日だった。気を付けて行ってね、と言って送り出した時、扉の向こうに青空が見えた。

「その時にふっと、なんて幸せだったんだろうと思いました。これで子どもを育てるという第一幕は終わったと思いました。その一方、息子は巣立っていった、では自分は次にどこに行くのだろう、と思いました。そのまま、ここにいるのではない気がした」(小林)

 この記事を書くにあたって、話を聞いておきたい人がいた。小林の一人息子の田邊泰三(29)だ。

 芸能界の実力者と、時代を築いたタレント。しかし芸能人の家庭という雰囲気はまったくなかった。泰三がテレビ局に遊びに行くようなこともなければ、田邊の仕事関係者に会うこともほとんどなかった。泰三自身も興味がなかった。

 田邊は本当に怖く、厳しかった。
「ただ厳しいだけとか、単純な否定だったら反発も生まれると思いますが、確かに、と納得するものがありました。厳しくしてもらったことは、今になって本当に感謝しています」(泰三)

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