泰三が子どもの頃、小林が夜家にいないということはほとんどなかった。泰三は「母は常に笑顔で明るかった」と言う。


「母の明るさは、大学受験などで精神的につらい時、最後のストッパーになってくれました。社会に出てから役に立つことのほとんどすべては父から学びましたが、メンタル的なところでは母から多くのことを見せてもらったという感じがします」

 泰三は慶應義塾大学卒業後、現在は広告会社に勤務している。
 およそ半世紀の時間を共にしている田邊と小林は、夫婦でありながら、プロデューサーとクリエイター、コーチとアスリートのような関係性だと感じることがある。そう小林に言うと、「その通りだと思う」と返ってきた。

「私を一番理解してくれているのは彼だと、今でも思っています。アーティストとして活動していた頃は目指すものや、好きな世界が同じでした。それは今も変わっていないと思う。公私ともに彼に守られて、ここまで来られたと思います」

 
 ■「着たい」という欲望、ユーミンと苗場で歌う

 芸能界を引退し、子育てに専念していた日常の中でも、小林には断ち切れないものがあった。それは「着たい」という欲望だった。
「子どもで目いっぱいという生活の中でも、洋服は嫌いになれなかったので、たまに買っていました。誰かに見てほしいというわけではなく、ただ『これを着たい』という欲」

 小林は小学生の頃から、自分の着たい服を近所の裁縫のできる人に頼んで縫ってもらっていた。仕事をしていた時は、稼いだお金はすべてイヴ・サンローランにつぎ込んでいた。

ファッションの世界だけは知っていたい、体感していたい。それはモデルとかアーティストとしてではなく、自分が女としてどうありたいかということと関係していたかもしれません」

 小林にとって撮影はある種の戦いだ。フォトグラファーが何を撮りたいのかを察知し、それを上回るものを撮られる自分は出していく。
「カメラマンによってアプローチは違うし、求められているものとか私の中で感じていることの違いはありますが、いい意味での勝負ですよね」

 ぐいぐい来る人もいれば、ただ静かにそこにいて黙々とシャッターを切る人もいる。内面をかき乱して抉り出され、それに対して挑むような気持ちで臨むフォトセッションもあった。

「自分の好きな世界観があって、表現したい女性像があった。耽美的で、陰影のあるものに子どもの頃から惹かれていました」

 現在、小林は公益財団法人日本服飾文化振興財団の評議員を務めている。小林が所蔵していた約180着ものイヴ・サンローランのビンテージコレクションを寄贈したのが縁だ。ユナイテッドアローズの名誉会長で日本服飾文化振興財団の代表理事である重松理(70)は、保存状態も素晴らしく、財団の軸になる所蔵品であると言う。

「着こなしにしても女優さんの着方というより、プロとして洋服に携わる人の姿勢がある。ポリシーを持って服を着ている。サンローランの神髄をわかっていて、それに忠実。いまのデザイナーのミューズになっている女優さんはいると思いますが、サンローランと小林さんの精神的なリレーション、テイストのリレーションというのは他にないんじゃないかと思います」

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