齋藤:そうですね。僕らのころは読書会もけっこうありましたね。「何月何日、どこの教室で読書会をやる」と言って、主催者の友達3人ぐらいと、そのほかに知らない人間が何人か来て議論して、そのあと飲むという感じでやってたんです。
林:やっぱり東大生は違うな。
齋藤:でも、いまは学生さんもなかなかやってくれないので、それを授業内でやろうと思って、「デカルト祭り」と称して、『方法序説』を読んできてみんなで語り合ったんです。そのときおそらく世界でいちばんデカルトで盛り上がっているのはここ、という感じで(笑)。
林:学生は読んでくるんですか。
齋藤:はい。いまの学生さんって素直で、ミッションを与えるとちゃんとこなしてくるんです。『論語』も読んでもらったんですけど、まず自分の経験と結びつく一節を選んでもらいました。たとえば「いま汝(なんじ)は画(かぎ)れり」という孔子の言葉があるんですが、これは、「おまえは自分の限界を自分で勝手に決めてしまっている。やり切っていないではないか」と弟子を叱った際に言ったんです。それと自分の部活動の経験とを重ねて、エピソードを話してもらったら、すごく盛り上がりましたね。
林:それは素晴らしいですね。
齋藤:あと、「ショートコント『論語』」といって、『論語』をコントにしてもらったら、これがみんなうまくて、クリエーティブだなと思いました(笑)。現代の人はセンスがいいので、いいものと出会ってほしいなと思いますね。
林:「日本語の乱れ」ということがずっと言われてますけど、最近はみんな横文字にしちゃいますよね。
齋藤:ネット関連の用語にカタカナが多いですよね。最近だと「サブスク」。
林:そう! こっちの了解を得ないで勝手に略すから腹が立ちますよ(笑)。
齋藤:アハハハ。「こっちの了解を得ないで」という言い方はおもしろいですね(笑)。あれは定額制のことなので、もうちょっと言い方があったような気がしますね。それに比べて明治時代の人はいろんな外来語をよく訳したと思います。「哲学」もそうで、昔は「希哲学」と言って、面倒くさいから途中で「希」を取っちゃったみたいですけど、日本でできた熟語も多いので、もう少し日本語として造語をつくってもいいような気がします。