東日本大震災後に福島県を取材で訪れてから、毎年通い続けて地域の人々と交流している。2月に開かれたシンポジウム「ふくしまウチ⇔ソト」でファシリテーターを務め、高校生と福島の未来を考えた(撮影/山本倫子)
東日本大震災後に福島県を取材で訪れてから、毎年通い続けて地域の人々と交流している。2月に開かれたシンポジウム「ふくしまウチ⇔ソト」でファシリテーターを務め、高校生と福島の未来を考えた(撮影/山本倫子)

■一度は断った結婚、親友とコインが背中押す

 それが功を奏したのか、田中は中学時代の話をしてくれた。中2の夏、全国大会予選の決勝のとき、大事な場面で中途半端なスイングをしてアウトとなり、悔しい思いを残した。そして高校3年の夏。甲子園の決勝戦、田中は最後のバッターボックスに立つと、思い切り振った。結果は三振、試合は負けた。それでも、「最後は絶対に思い切り振ろうと決めていたので後悔はなかった」と語ったのだ。取材後、担当ディレクターに「すごいな」と褒められる。その全試合をよく知るスタッフにとっても、鳥肌が立つようなエピソードだった。

「スポーツには詳しくなかったけれど、インタビューは何か脱線したところに面白さがあり、素顔が見えるんだと気づかされたんです。だから私も素直に自分のままでいいんだなと思えました」

 いつも次の予定に追われていたが、どんなに忙しくても仕事は楽しかった。14年の春から早朝の情報番組「グッド!モーニング」のサブキャスターになると、池上の番組に加えて深夜のバラエティー番組にも出演し、多忙を極めていく。午前2時に局入りし、朝5時前からオンエア、その後も仕事が入って深夜に帰宅。最初の数カ月はほとんど眠れず、さすがにつらかったと宇賀は洩らす。翌年9月には「羽鳥慎一モーニングショー」のアシスタントになった。

 忙しい日々でも、時間を見つけては友だちと飲み、3日オフがあれば旅行に行く。活動的で決断も速い宇賀が迷ったのが、結婚だった。大学時代の同級生と付き合って数年が経っていたが、彼からのプロポーズに宇賀は「やっぱりできない」と答える。結婚願望がなく、互いに自立もしている。結婚することに意味を感じなかった。とはいえ、迷う気持ちもある。その宇賀の背中を再び押したのが、親友の林だった。

 宇賀の30歳の誕生日を彼と林の3人で祝う席でのこと。煮詰まる様子の宇賀を見て、「だったら、コインで決めたらいいんじゃない?」と、林が手持ちのイギリスの硬貨を渡したのだ。宇賀は「表が出たら結婚する、裏だったらしない」と投げ上げる。出たのは、エリザベス女王の顔が刻まれた「表」だった。宇賀はそれを見て、「ホッとした」気持ちになった。林は言う。

「彼女の中でも揺らいでいたんでしょう。私たちの母親世代は、子育ては女性がするものという価値観があり、周りの友だちも家庭に入ったら変わってしまったから、結婚しない方が自由にどんなことでもできるだろうと。でも、今は彼女なりの結婚生活を楽しんでいるような気がします」

 17年に結婚。夫が掃除と洗濯をし、宇賀は料理担当。得意なことを得意な方がやればいい。夫は宇賀をこう評する。

「彼女の性格をひと言で言えば、野球部のキャプテン。甲子園優勝を目指してまっしぐら、夕陽に向かって『みんなで走るぞ!』と突き進んでいく感じ。冷や冷やもするけれど、自分が中心になって周りを巻き込んでいくエネルギーはすごい」

 入社以来、仕事は無遅刻・無欠勤。だが、アナウンサーとして経験を積めば積むほど、同じ場所でずっと足踏みをしている気持ちになってきた。

「会社にいれば仕事は楽しいし、十分幸せだったんですが……。ぼんやりと見えている10年後よりも、全然想像もできない自分になっていたいと思ったんですよね」

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