「彼女の運転は怖くて」と夫は苦笑するが、宇賀はどこでも気ままに出かける。海外もよく旅し、ドバイ、スリランカ、メキシコなど旅先では愉快な出会いがあった(撮影/山本倫子)
「彼女の運転は怖くて」と夫は苦笑するが、宇賀はどこでも気ままに出かける。海外もよく旅し、ドバイ、スリランカ、メキシコなど旅先では愉快な出会いがあった(撮影/山本倫子)

 大学最後の年にリーマン・ショックが起き、大手企業とはいえ、決して安心できるとは限らないということも身にしみていた。世の中はあっという間に変わるものだから、自分自身がしっかり立っていなければダメだと思い知らされた。周りで起業した友人たちが活躍する姿を見ながら、いずれは独立したいという思いがつのる。

 ついに心を決めたのは18年夏、夫と旅したベトナムでのこと。ハノイの街を歩いていると、地面に座り込んでお茶を飲んだりスマホをいじったり、マイペースに暮らしている人々に出会った。それでも毎日ちゃんと生きていけるんだと思ったら、自分は何を悩んでいるのだろうと吹っ切れた。

 翌19年3月末、宇賀は入社10年の節目でテレ朝を退社。自分で会社を立ち上げスタートを切った。

「芸能事務所に入らず、一人でやっていこうと決めました。経理やギャラの交渉など大変なことは多いけれど、全部が取材になる。いろんな人の意見を聞いて最終的に自分で決めていく。どんどん外へ出て、個人の力を蓄えたいと思ったんです」

■退社公表の日に決まったラジオのパーソナリティー

 ちょうど退社を公表した日の夜、ある宴席で小山薫堂(55)と出会った。4月から始まるラジオの新番組、TOKYO FM「日本郵便SUNDAY’S POST」で相方を探していた小山に、「やってみたいですか?」と聞かれる。昔からラジオが好きだった。「絶対やりたいです!」と即答。その場で起用が決まった。実は小山は、それまで宇賀のことをよく知らなかったという。

「でも、仕事としてこなす人ではない方がいいと思ったんです。ラジオは愛が伝わるメディアだと思うので、ラジオが大好きだという彼女なら心を込めてやってくれるだろうと」(小山)

 手紙を通じて、人や風景など日本の良さを伝える番組。局アナ時代はアシスタントとして聞き役にまわることが多かったが、ラジオのパーソナリティーには自分の言葉で自由に話せる楽しさがあり、リスナーとの距離感も近い。宇賀はフットワークも軽く、東北や九州まで取材にいく。地元の酒を飲み、一人でふらりと温泉に立ち寄ってくる。のびのびと楽しそうな宇賀を見て小山は言う。

「宇賀さんは、女手ひとつで看板を率いていくような『旅館の女将』が似合いますね」

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