「川柳居酒屋なつみ」の収録現場には豊富な酒が揃う。「お酒を飲んで喋るのは私の趣味なので」と、宇賀も酔いが回るほどに飾らぬ本音をポロリ。3月末から常連客ムロツヨシは尾上松也にバトンタッチ(撮影/山本倫子)
「川柳居酒屋なつみ」の収録現場には豊富な酒が揃う。「お酒を飲んで喋るのは私の趣味なので」と、宇賀も酔いが回るほどに飾らぬ本音をポロリ。3月末から常連客ムロツヨシは尾上松也にバトンタッチ(撮影/山本倫子)

■人を妬む自分が嫌い、少女漫画を真似て自分改革

 局の看板アナウンサーであった宇賀の退社は注目を集めた。09年に入社してから10年。ある程度仕事もできるようになった宇賀は、これからどう生きていこうかと考えたという。

「もっと自分らしい生き方があるかもしれないと。だったら、個人的に働き方を改革していけばいいと思ったんです」

 宇賀にとって身近な「働き方」のモデルは両親だった。建築家の父(66)は仕事の話をよくしてくれ、設計したビルやホテルを見せてくれた。保育士の母(59)もいつも楽しそうで、愚痴を聞いたことがない。好きなことを仕事にできる生き方に憧れ、自分も「早く大人になりたい」と願っていた。

 東京・練馬で生まれ育った宇賀は「とにかく元気で負けん気の強い子。おしゃべりが好きで、自分で作った歌もよく唄っていました」と母は言う。休日には家族で公園や海辺へ出かけ、スキーや旅行も楽しんだ。旅先のホテルでは、「ビデオカメラを向けると、『こちらがリビングです』『お風呂場です』などとアナウンスしてくれました」と父も目を細める。

 小学生の頃は、男の子たちと外で走り回り、足はあざだらけ。読書や物語を書くことも好きで、家族のために新聞を制作。卒業文集には「新聞記者かアナウンサーになりたい」と綴っていた。

 3歳違いの妹とは仲が良く、ずっと交換日記を続けていた。妹にとって、姉はまぶしかった。

「めちゃくちゃ可愛かったし、スタイルが良くて勉強もよくできる。後輩や先生からもすごく人気がありました。私が同じ中学へ進むと、『あっ、宇賀先輩の妹が入ってくる』とざわめくような。それが羨ましくもあり、ずっと憧れていたんです」

 そんな姉が、中学生になる頃から、家族とあまり話さなくなったという。学校から帰っても挨拶せずに自分の部屋へ入り、母親に反発してぶつかることも多くなった。宇賀は人知れず、苦しんでいた。小学校高学年の頃から上履きを隠されたり、校帽や体育着をとられたり、悲しい思いをすることが度々あったという。

「中学時代までがいちばんつらかった。私にも意地悪な心があって、嫌いな子や仲良くできないお友だちもいっぱいいたし、人を妬む自分も嫌だった。狭い世界が息苦しかったのだと思います」

 そんなとき図書館で見つけたのが、医師でエッセイストの海原純子が書いた『ポジティブ思考が女を変える』という本だ。<「嫌いな自分」を「好きな自分」に変える><ひとりを上手に楽しめる人は、皆とも上手に楽しめる>……。そんな言葉が早熟な少女の心にぐさりと刺さる。
 宇賀はさっそく「自分改革」を始めた。モデルにしたのは、少女漫画『天使なんかじゃない』の主人公の冴島翠(さえじまみどり)。明るく前向きな高校生だった。

「翠ちゃんみたいになれたら、学校も楽しくなるだろうなと思い、ちょっとずつ真似したんです」

 嫌なことがあった時はどうやって立ち直るか、好きな子がいて失恋したら……と、シミュレーションをし、何があってもポジティブに考えるようにした。すると高校生活は一転する。

 進学した地元の都立高校は共学で制服がなく、髪を染めるのも自由。友だちも面白い子ばかりだった。青春ドラマの世界に憧れ、応援団へ入部。学ランの先輩に朝から晩までみっちり鍛えられ、のどを潰すような練習に明け暮れた。さらにパワーアップしたのは大学時代だ。

 立教大学時代からの親友で、ジュエリーデザイナーの林聖子(33)は出会った頃の宇賀を鮮明に覚えている。ショッキングピンクのTシャツにデニムのパンツ、トレンチコートを着こなし、パステルカラーのゆるふわ女子が集まるキャンパスで、宇賀の独自の華やかさは人目を引いた。

「彼女は太陽みたいな人。光を放って、みんなの視線を集めるし、明るく照らして周りの人を幸せにしたいと思っている。すごく度胸もあって、人並みはずれてポジティブなんです」

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