この1月、東京のニコンプラザ新宿でキルギスのナリン川をテーマにした写真展が開かれた。川と共にその流域で暮らす人々の生活を切り取った写真には穏やかさが漂う。今までの写真とは印象が違うとの声が多いが、林の中では繋がっている(撮影/小山幸佑)
この1月、東京のニコンプラザ新宿でキルギスのナリン川をテーマにした写真展が開かれた。川と共にその流域で暮らす人々の生活を切り取った写真には穏やかさが漂う。今までの写真とは印象が違うとの声が多いが、林の中では繋がっている(撮影/小山幸佑)

■男の子のような小学生、ついたあだ名は「あきら君」

 写真家として本格的な活動を始めたこの10年、衝撃的なテーマを次々と扱ってきた。結婚を拒否したために硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、人さらいのように女性を力ずくで奪うキルギスの誘拐結婚、ダーイッシュ(イスラム国)に土地を侵略され多くの女性が性暴力を受けたイラクのヤズディ教徒。時間をかけた丁寧な取材が実を結び、完成度の高い写真集を出す。国内外を問わず受賞歴も多く、名取洋之助写真賞、フランス世界報道写真祭「報道写真特集部門」金賞、全米報道写真家協会「現代社会の問題部門」1位、山本美香記念国際ジャーナリスト賞など、写真家として高い評価を受けている。

 林の特徴は、写真集を出して一つの結果を残しても、そこでプロジェクトが終わらないことだ。取材対象者とは交流を続け、必要なら「その後」を伝え続ける。渡航費も時間もかかる作業だが、手を抜くことはない。それでいて新しいテーマにも果敢に挑んでいく。粘り強さとチャレンジする姿勢がバランス良く両立している。

 83年、神奈川県川崎市で会社員の父・林則孝(64)と専業主婦の母・英子(66)の長女として生まれた。4歳で埼玉県に引っ越し、その頃、アウトドア好きの英子に連れられて山登りによく連れて行ってもらったことを覚えている。幼少のころは集団行動が苦手で、幼稚園受験の面接のときにはあまりに泣き叫んだため先生たちに担ぎ出された。小学校に入ると友達も増えたが、短い髪にズボン姿で男の子のように見えたことから、ついたあだ名は「あきら君」。ジャングルジムやドッジボールが好きな活発な子どもだった。両親によると、「一度決めたら変えない芯の強さ」は、この頃から持ち合わせていたという。

 今の仕事に就く遠因となったのが、中学・高校時代にテレビでよく見たドキュメンタリー作品だ。アフガニスタン紛争など海外で起きている自分の知らない世界を画面越しに知るうちに、社会問題や時事問題に強い関心を抱くようになる。高校生になるとNGOの勉強会にも顔を出すようになり、大国の利害に翻弄されるクルド難民のことなども知るようになった。

 将来、やりがいを感じる仕事に就きたいと漠然と考えていた林は、この頃から国際関係の現場で活躍したいと思い始める。中学からエスカレーター式に昭和女子大学に入学するが、いずれは生きた国際政治学を学ぶためにアメリカの大学に行こうと高校時代から決めていた。ペンシルベニア州のジュニアータカレッジで国際政治学、紛争・平和構築学が学べることを調べ、20歳のときに編入した。

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