普段は東京暮らし。「ニューヨーク・タイムズ」など海外の新聞や雑誌社から依頼されるニュース取材の撮影もあり忙しい毎日だが、ときおり山梨県北杜市にあるセカンドハウスで息抜き。近くには両親が住み、家族団らんで過ごす時間も(撮影/小山幸佑)
普段は東京暮らし。「ニューヨーク・タイムズ」など海外の新聞や雑誌社から依頼されるニュース取材の撮影もあり忙しい毎日だが、ときおり山梨県北杜市にあるセカンドハウスで息抜き。近くには両親が住み、家族団らんで過ごす時間も(撮影/小山幸佑)

■向き合い方に悩み続けた、キルギスの誘拐結婚取材

 3年間の大学生活を終えて24歳で帰国すると、日本の新聞社でアルバイトをしながらお金を貯めた。並行して海外のフォトワークショップにも積極的に参加し、世界の第一線で活躍するフォトジャーナリストたちから学んだ。そうするうちに、写真を撮り続けていく気持ちがこの先も保てるかもしれないと思えるようになってきた。

 その後の林は、自分が興味を抱いたテーマの取材に、次々に取り組んでいく。

 10年にはパキスタンで硫酸を顔にかけられた女性たちを取材する。首都イスラマバードにあるNGOが彼女たちの治療をしていることを知り、会いに行く。

「最初は写真を撮らず、一緒にテレビを見たり買い物に行ったりしました。そのうち、私を受け入れてくれて、カメラを向けてもこちらを振り向かなくなった。それでも顔の写真を撮ればダイレクトに被害が写ってしまう。ただれた顔よりも、彼女たちがどんな家族に囲まれてどんな時に笑い、どんなものを見つめているのか。そうした日常を知りたかったので撮影方法も工夫しました。嬉しかったのは、つらい状況にある彼女たちなのに、世界に伝えるという社会的な意義を理解して写真を撮らせてくれたこと。だからこそセンセーショナルじゃなく、きちんと伝えないといけないと思いました」

 3週間の予定が3カ月に延び、15人ほど取材した。写真は海外の雑誌などでも発表した。それでも写真集にしていないのは、まだ取材が足りないと思っているためだ。

 以前から気になっていたというキルギスの誘拐結婚(アラ・カチュー)の取材は、東日本大震災の取材を終えた12年に行った。誘拐結婚の瞬間を捉えたいという気持ちもあったが、それ以上に結婚した女性たちがその後どんな生活を送っているか関心があった。

 いくつかの中央アジアの国々で行われている誘拐結婚は、男性が結婚目的で女性を力ずくで連れ去る慣習だ。キルギスでは94年に法律で禁止されたが、実態としては今も残っている。誘拐の現場が見つかれば逮捕されるが、その後に女性が結婚を承諾すれば罪に問わないなど、法律もどこか曖昧だ。

 初めはどこにいけば誘拐の現場が取材できるのか分からず、誘拐結婚をした夫婦へインタビューを試みた。家に泊めてもらい、じっくりと話を聞き、生活の様子を撮影する。女性を誘拐するような人が果たして協力してくれるのかと思ったが、皆、協力的で夫婦仲も良さそうに見える。男性も良識人で友達になれそうな人たちだ。だが、誘拐結婚の話になると、恥じるどころか「男なら誘拐しなさい」などと言う人もいた。

「初めは『誘拐結婚などあってはならない』との見方で取材を始めたんですが、取材を進めるうちにどう向き合えば良いのかだんだんわからなくなって。住民たちには様々な考え方があり、誘拐結婚したカップルの結末もいろいろ。簡単に良い悪いというのは難しいんです。それでも、誘拐結婚で希望を失い自殺をした女性もいるし、幸せになった女性でも娘が誘拐されたら許さないという人がほとんど。最終的に私の中では『人権侵害』という考えに落ち着きました」

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