■心中考える親子が受診「この子はこのままでいい」
2000年代から二つの病院で小児心理外来を開き、発達障害者支援センターや児童相談所などの嘱託医をいくつも兼務する。国をあげて取り組んだ「早寝早起き朝ごはん」運動を推進。大学で特別支援教育に携わる教員を育てつつ、研究と臨床現場での研鑽(けんさん)を両立してきた。
「私のこれまでの知見、経験の集大成がアクシスになる。特性は消えないけれど、彼らの生きにくさ、やりづらさは下がる。そうやって小中高の時点から支援し続ける仕組みが必要です。大げさに聞こえるかもだけど、私は人間を変えたい」
その決意は、80代の親がひきこもり続けてきた50代の子の生活を支える「8050問題」の解決に直結する。ひきこもり状態にある人は全年齢合わせると推定100万人超。厚生労働省のひきこもり支援のガイドラインでは、問題の背景に発達障害など精神障害があることが指摘されている。
茨城県に住む34歳の男性は、20歳を過ぎて成田と出会った。こだわりが強く、集団行動ができなくてひきこもっていた。両親が楽しそうに成田に会いに行くのを見て、自分も行きたくなった。
ああしろ、こうしろと怒られたりしない。いつの間にか自尊感情が芽生え、生きることに前向きになれた。「こんないい子を育てたことを自信にして」と言われて号泣した両親も明るくなった。男性は「あのままだったら大人のひきこもりになったかも。成田先生は、家族全員の道しるべになってくれた」と顔をほころばせる。今は非常勤ながら仕事を続けている。
障害による特性を受け入れられない親が、身体的、精神的虐待に及ぶケースは少なくない。
首都圏に住む30代の女性は2年前、「息子と心中する方法を毎日考えていた」と言う。当時小学2年生だった長男のことで、連日のように学校から呼び出された。すぐに相手を殴る、蹴る。「薬が必要」「普通じゃない」と担任らに言われ、息子に「なんで普通にできないの?」とあたった。
成田は息子の頭をなでながら「この子はこのままでいいの」と言ってくれた。アクシスに1年通うと、徐々に息子は落ち着いてきた。学校からの電話は一切なくなった。
「先生がいなかったら、私たちの未来はなかった」
■母から与えられない愛情、裁縫箱からボタンを盗んだ
絶対に見捨てない――それがアクシスの合言葉だ。会員数は開設から約5年間で、250家族、親子の延べ人数は600人と増え続ける。担当する小児心理外来の新患は8カ月待ち。今年4月から施行される「保護者による体罰禁止」に親たちが戸惑うなか、その取り組みは児童虐待に対する処方箋になる。成田へのニーズは高まるばかりだ。
ひと言で言えば、成田は「生きづらさを抱えた子ども」の専門家。その原点は自分自身だ。
父は小児科医、母は専業主婦。父方の祖父は大企業の役員で、お手伝いさんがいる邸宅で育った。小さいときから虫や生き物にしか興味がなく、こだわりも強い。いわば「育てにくい子」。椅子をガタガタさせ立ち歩く、前にならえができず、忘れ物も大量。目立つからなのか、いじめも壮絶だった。教科書を隠され、消しゴム、鉛筆と次々ものがなくなった。小さいころの成田は「私の目の前にいる子どもたちとまったく同じ」だった。