
見えないところまで見えちゃう、すごい人
カメラはニコン。焦点距離500ミリが「標準レンズ」で、「俺にぴったりのレンズだな」と言っていましたね。
ただ、小鳥を写すときには焦点距離を伸ばす必要がありましたから、1.4倍や2倍のテレコンバーター(補助レンズ)をよく使っていました。
いいなあ、と思ったのは三脚。ジッツオの三脚にマンフロットの油圧式の雲台。それを自分で改造した。とても自由にカメラが動かせて、ぴたっと止まる。1/15、1/8秒でもブレない。あれは本当にプロの機材だなと。撮影機材は常に丁寧に扱っていた。職人なんだね。
鳥の写真は、鳥の生態がわからないと撮れない。一緒に撮影にまわるようになって、久保さんには本当にいろいろと教えられましたね。
朝、夕方とか、鳥の種類によってどの時間帯に動くのかを教わった。どこにいるか、わからないと撮れないから鳴き声の違いもよく教えてもらいました。
親鳥がヒナにエサを与える瞬間とか、交尾する瞬間とか、もう二度と起こらない一瞬のドラマを写真に残すことが共感を呼ぶ。そんなことも教わりました。

でも、なんでこんなすごい写真が撮れるのか。ほかの人が見えないところまで見えているというか。それが久保さんの写真に表れている。
鳥は動作した瞬間にシャッターを切ってもそれは写らないんですよ。コンマ数秒遅れるだけで写らない。飛び立つ瞬間なら、飛び立つ前にシャッターを切らないと写らない。
そんな、ぼくなんかが見えないところまで見えちゃう人だった。
でも、偉ぶることがなく、普通のおじさんみたいでね。みんなから親しまれていた人だったんです。
「口はとてつもなく悪く、負けず嫌いで、とても気が強い人でした」
最後に久保さんのホームページに掲載されている妻、俊枝さんの文章を引用させていただこう。
<迷彩服が似合う人でした。太く、短く、潔く生きた人でした。単純、シンプル、物事すべてにおいて黒と白のみ、ゆえに迷い、後悔することのない人でした。口はとてつもなく悪い人でした。負けず嫌いで、とても気が強い人でした。大胆かつ繊細な人でした。生きものの命をいつも見つめていました。気になる撮影は納得いくまで何度も繰り返して追求する人でした。職人のごとく、カメラ機材は大事に使うのがモットーでした。大人にならない、いや、なれない人でした。71年の人生は、まさに猪突猛進そのものでした>
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)