究極の夢舞台として4度挑んだ五輪のシンボルマークと共に。33歳の若き会長だ(撮影/植田真紗美)
究極の夢舞台として4度挑んだ五輪のシンボルマークと共に。33歳の若き会長だ(撮影/植田真紗美)
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 日本フェンシング界初の五輪メダリストは2年前の夏、青天の霹靂で日本協会の会長に担ぎ上げられた。31歳という異例の若さだった。前例踏襲に疑問を投げかけ、大胆、かつ斬新な発想でスポーツ団体の常識を覆す。自らが招致の最前線にいた東京五輪もゴールではない。スポーツの真価が試されるポスト2020にも、その視線は向く。

 ボルテージは最高潮に達した。フェンシングの日本代表級が剣を交える一騎打ちに、体育館を埋めた1千人の小学生が床をふみならして応援合戦に興じた。子どもたちの体温の上昇が、館内の温度も上げていく。
 
 太田雄貴(33)も黒のジャケットを脱ぎ、白いTシャツ一枚になって、児童たちをあおった。
 
 10月11日、千葉県船橋市の宮本小学校での学校訪問は、大盛況でフィナーレを迎えた。太田は最後に呼びかけた。

「今日みたいに楽しむ心、人を応援する心を忘れないでください。反抗期は一つも良いことなんてありません。素直な心、楽しむ心、感謝する心を忘れずに大きく成長してください。僕も皆に出会えて幸せでした。ありがとうございました!」

 スポーツ団体の「会長」というと、政治家、企業のトップ、元アスリートの重鎮らがどっしり構えるイメージが浮かぶが、太田はちがう。営業の最前線でトップセールスに励み、学校訪問では汗だくで盛り上げ役を買って出る。締めはいつも、子どもら全員とのハイタッチだ。

「これほどの熱狂を生み出す授業ってないと思う。応援することがどれほど素晴らしいかを伝える代弁者になりたい。応援を文化にしたい。声援がない会場ほど、選手にとってつらいものはない」

 来夏の東京五輪のフェンシングは千葉市の幕張メッセが会場となる。この学校訪問はファン開拓の狙いもあるが、太田の視座はもっと高い。

「頑張っている人の足を引っ張り、出る杭を打つ社会ではなく、純粋に応援し、背中を押す文化を根づかせたい。ねたみやひがみと無縁な社会なら、未来は明るいはずじゃないですか」

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