長女を抱き、妻友里も一緒の、メディアでは貴重な太田家の家族写真。撮影現場では「AERAではなく、育児雑誌の表紙にぴったり!」との声も(撮影/植田真紗美)
長女を抱き、妻友里も一緒の、メディアでは貴重な太田家の家族写真。撮影現場では「AERAではなく、育児雑誌の表紙にぴったり!」との声も(撮影/植田真紗美)

■リオ五輪で初戦敗退、苦い教訓を今に生かす

 太田に確認すると、「相手が次にどんな手を打つか、勘と勢いで勝負するのか、確率を重視して定石で攻めるのか。そうしたバランスを学べると思った。ただ、雀荘のタバコの煙が苦手なので、次第に遠のいてしまったんですけど」。

 ロンドン五輪後、一時、剣を置いた。経営学修士(MBA)を取るために米国留学を視野に入れていた。五輪のメダルを究極の目的ではなく、手段、もしくは通行手形と語るように、メダリストという知名度を生かして、第一線で活躍する起業家、経営者との人脈を深めた。

「最初は好奇心。話をするうち、アスリートは起業家っぽいと思ったんです。サラリーマンじゃない。だって、めちゃめちゃリスクが高いことをやっているわけじゃないですか。明日大けがしたら、終わりですからね、全員」

 4カ月ぐらいの間で芋づる式に人脈は広がり、「人間関係のわらしべ長者みたいでした」と笑う。17年に結婚したTBSアナウンサーの妻、友里(29)と出会ったのも、このころだ。

 13年9月の東京五輪招致を成功に導いた後、現役復帰を決めた。「金メダリストにしか見えない景色がある」との思いから頂点をめざした。しかし、現役世界王者の金メダル候補として臨んだリオ五輪は、まさかの初戦敗退。その場で、引退を表明した。

「過去に負けたことがないし、チーム全員が油断していました。あの苦い教訓は今、僕のビジネス領域において、すごく役に立っている。よけいなプライドなんて邪魔なだけ。今ならピストをなめてでも、勝とうとやっている。泥臭くなれる人は強いですよ。きれいにしか生きられない人にはチャンスは回ってこない」

■東京五輪まであと9カ月、運命を変えられるのは選手

 会長になって、スポンサー集めに奔走する。300社回って、成功したのは1割あるかどうか。

「人間って、自分が好きな人にプロポーズして振られたらショックですけど、フェンシング協会のため、という思いがあるから、くじけない。断られる免疫がついて次に行く。僕を応援してください、ではなくて、僕らの協会がめざす五輪の夢に乗っていただけませんか? 僕たちは日本のスポーツ団体のロールモデルになる活動をしていますと、熱意とビジョンを自信を持って言い切る」

 会社四季報をめくり、未上場企業で社長や会長の一発決裁で行ける企業を狙ったり、フェイスブックで知人経由で接触を図ったり。選手にも、個人スポンサーの獲得を奨励する。「名刺でもらった連絡先は生もの。早くしないと腐ってしまうので、早めの連絡をおすすめします」「俺も営業に行って、打率1割未満とかだから、みんなも恐れずガンガン振っていこう。空振りしても、他人は覚えてなんかいない。傷つかないから頑張ろう」と背中を押す。

 選手にとって最高の環境を整える「アスリートファースト」の考え方は一般的だが、太田は一歩進み、選手の引退後の人生を見据えた「アスリート・フューチャー・ファースト」を掲げる。その一環で選手に英語力を求め、その能力を世界選手権の選考基準に組み込む方針を決めた。それは海外から招いたコーチや、国際大会での審判と意思疎通を図るには欠かせないスキルだからであり、引退後のキャリアにも生きると考えたからだ。

 現役だった5年前の春、すでにこんなことを話していた。

「皆、僕らの年齢になると、大学院に行ったりとか、環境の変化が出てくる。剣を振るのが夢中で楽しかった中学、高校生とは違う。自分の人生の尺を80歳というスパンで見るか、それとも、競技を引退するのを32歳だとするなら、32歳までで考えるのか。今の日本のスポーツ界はセカンドキャリアには取り組んでいないので、自分で将来を考え、動かないといけない」

 日本協会の会長職は無報酬だ。自分の生計は、講演活動や企業との個人契約で立てている。

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