
■残り9秒から逆転でメダル、人生はすべて点でつながる
小学校6年で全国少年大会2連覇を果たした太田は、初めてメディアに登場した「朝日小学生新聞」紙上で、五輪への夢を公言している。
「だから、フェンシングに出会わせてくれたことは、父に心から感謝しています」
15点勝負のフェンシングは五輪競技の中で、本命が必ずしも勝たない筆頭格だと思う。過去10年の世界選手権で、男子の3種目で連覇を果たした王者はいない。番狂わせは日常茶飯事だ。
太田が08年北京、12年ロンドンの両五輪で獲得した銀メダルも、「あの1点が逆に転んでいたら、メダルを逃していた」という場面が連続の紙一重の戦いだった。太田は自分の目標が達成できる見込みを、よく確率で見立てる。北京では「正直、メダルの確率は5%ぐらいと思っていた」と明かし、「残り9秒の奇跡」と言われたドイツとの準決勝を制し、団体戦で銀メダルを手にしたロンドンでも、「世界ランキングを考えたら15%もなかった」とのちに振り返った。当時、日本協会の選手強化の責任者だった張西厚志(74)は、「太田には強運では片付けられない勝負強さがある。ゾーンに入ったときの強さというか。あの二つのメダルがなかったら、太田の人生も違ったでしょうし、日本のフェンシング界を取り巻く環境がどうなっていたかと思うと、恐ろしいですわ」。
強運では片付けられないなら、運命なのか。太田はこう語る。
「運はたぐり寄せるものだと思うけれど、努力をやりきった上での運だと思う。人生はすべて点と点でつながっている。こじつけかもしれないけれど、つながっていると信じて、目の前のことをおろそかにしないよう心がけている。人との出会いを含めて、過去の積み重ねでしか、今の自分は存在しない」
選手仲間で、今は日本代表の女子フルーレのコーチをつとめる市川恭也(36)は、あるとき、太田が麻雀を教えてと頼んできたことを覚えている。
「ゲームの楽しさじゃなく、勝負勘、戦略の立て方をフェンシングに生かせないかという理由なんですよ。24時間、フェンシングに勝つことから逆算しているストイックさはまねできない」