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特に今回は、ボクも思い入れが深い首里城がこんなことになって、同じウチナーンチュとしてできることはなんだろうと考えた。というのも、最後に首里城を訪れたときをはっきり覚えていて、NHKのBS時代劇「テンペスト」(2011年放送)で、首里城の城壁を歩いていくシーンを撮影したときだった。正殿や普段はなかなか入れないエリアにも入れてもらい、感慨深いものがあった。ボクはボクの形で、やるべきことをやり、少しでも沖縄に恩返しができたらいい。
――そうだったんですか。プライベートがベールに包まれているので、「ウチナーンチュ」という言葉が出てくるのが意外で……。
いや、「謎に包まれている」と思っているのは周りの人たちで、実はボクはすごくオープン。沖縄のことも、プライベートも隠していない。
ボクは親がウチナーンチュで、7歳まで沖縄に住んでいたけど、その後は内地(本土)に移って。16歳のときに一度、沖縄に戻ったんだけど、その後はずっと離れていて、次に戻ったのは26歳のとき。だから姉はウチナーグチ(沖縄方言)を話すけど、ボクは片言でしか話せない。
――ときどき語尾に付く「さ」は、ウチナーグチの「さ~」ですか?
あはは(笑)。姉の喋り方が移っているのかな。標準語で喋っているつもりなんだけど(笑)。
ウチナーグチは片言でも、沖縄人としての誇りは強くある。いまは時代が変わったけど、ボクらが小さいころは差別もあった。今更それを掘り返す必要もないけど、自分の中ではマイナスには働いていなくて、当時は「絶対に負けない」という気持ちだった。海外で(出身地を)聞かれたりするけど、その度に、沖縄人というナショナリティーを持っていると気付かされるし、沖縄人として恥ずかしくないように、とも考える。もしかしたら、沖縄に住んでいる人たちよりも離れた人のほうがそういう気持ちを持っているのかもしれない。
ボクは沖縄をずっと外から見ているから、すごく冷静に見ている部分もあるし、住んでいる人たちよりもかえって愛情が深いところもある。地方に行ったときに「何を食べたい?」と聞かれて、「沖縄料理を食べに行こうか」って言うことも少なくない。