鈴木:そういう話をすればいいのに、なぜしないのか僕もわかりません。


 私はそういう話を親とはしています。母が70代で3年くらい前に父を亡くしたことを契機に、母親の生き方は確認しています。

後閑:私も両親としています。母は看護師だったのでざっくばらんに、「食べられなくなったらそれは死ぬ時だ」と言っています。
 ほとんどの人が「食べないと死ぬ」と思っていますが、そうではありません。死ぬから食べられなくなってくるんですよ。それを受け入れるということも必要だろうと思います。

鈴木:そうそう。僕は長生きに全然興味がないんです。だからなぜ長生きしたいのかがよくわからない。
 たとえば、死ぬのが怖いからといって一時的に逃げていても、結局はやって来ますから。

後閑:長生きしたい、ではなく、やりたいことやるために長生きする、ということですよね。長生きは手段ですから。

鈴木:そうです。
 僕は自分の人生観として、人と人をつなぐことをしたいと思っています。だから僕がそういうことをできなくなったら、自分の役割に対する喪失感は大きいと思うので、生きる元気もなくなると思うんです。
 つまり、人との関わりがなくなった段階で、自分の命の役割が終わった感じになるんだと思います。そうなると、病気との付き合いもやめて、死んでもいいと純粋に思えるようになるだろうと。
 今はまだ人との関わり合いを持てるタイミングも多いので、まだ生きようと思っています。だから、標準的でいいので治療を受けているわけですね。でも、最先端の治療をしようという概念はないです。

後閑:それを言葉にして伝えておかないと難しい。

鈴木:本当にそう思います。

●患者中心の医療から患者協働の医療へ

後閑:鈴木さんは「患者中心の医療から患者協働の医療へ」という思いで活動をされていますが、医療者は患者中心の医療となっていて、患者さんのためにという名目のもと、いろんな人たちがああじゃない、こうじゃないと話しますが、実は患者さんは蚊帳の外になっていて、それが本当に患者さんのためになっているのかというと甚だ疑問に思うことがあります。

鈴木:医療者に聞くと、カンファレンスにはその人の人生観を確認しないまま入っていくと言うんです。それってどうなの? と思っています。
 本来はそこで、「この人はこういう生き方をしたいと思っています」という話があった上で、そのためにどうするかという話になるのが、あるべきカンファレンスだと思うんです。
 そう言うと、「今の医療現場では確認する時間やタイミングがない」と言われるのですが、そんなの最初の入院の時の問診票だったり、アンケート調査したり、やろうと思えばタイミングは作れるはずなんですよね。そんなに手間のかかる話じゃないのに、とても大事なことが落とされていると思うんです。

後閑:そうですね。私は療養病棟で働いていますが、医師との面談に患者さんは同席していないんです。

鈴木:えっ! 本人が入れないの? 家族は?

後閑:ご家族はいます。希望すれば本人も入れますが、そもそも認知症や寝たきりの患者さんが多いので、自分の意思をうまく伝えられない患者さんが多いからでもあります。
 けれど、話すことのできる人もいるのに、自分の人生の最期を蚊帳の外で決められています。意外とご年配のご家族は「本人は気が弱いから、死ぬなんてことは伝えないでください」と言ったりします。

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