人を見下した笑いの渦に巻き込まれることのない若者がいることも知っているからだ。
──なぜ、真剣な怒りを笑う人がいるのだと思いますか?
私の問いに、名護市で、地域住民の交流スペース「coconova」で働く具志堅秀明さん(29)はこう答えた。
「居心地の良い議論しかしてこなかったからだと思いますよ。笑うことで深い議論を避けたがる。そんなことでは何も生まれないし育たない」
■笑う暇があれば真実を探し出せ
実は、具志堅さんは沖縄国際大学の学生だった頃、基地建設に反対する人々を冷ややかに見ていた。当然、前出の佐藤教授とも対立した。「普天間基地はもともと何もなかった場所につくられた」と信じていた具志堅さんは、佐藤教授に激しく食ってかかったのだ。
「先生の言葉よりもネット情報を信じていました」
証拠を出してみろと迫る佐藤教授に、具志堅さんはネット情報を提示したが一蹴された。それが悔しくて、図書館や資料館を回り、普天間の歴史を調べた。
「先生を言い負かしたかった。僕の中には“正しさアレルギー”みたいなものがあって、なにか正論めいたことにはとにかく反発したかった」
戦争の記憶が色濃く残る沖縄では、年配者になるほど戦争や基地への忌避感も強くなる。「沖縄を二度と戦場にしたくない」という願いが、具志堅さんにとっては年配者から「正しさ」を押し付けられているようにも思えた。反戦平和に挑むことが、彼にとっての“一点突破”だったのだ。
当時は米軍基地内のバーでアルバイトをしていた。出勤時、ゲート前で見かける基地反対を訴える市民の姿も「うざい」としか思えなかった。
だから必死になって調べた。平和を説く大人を言い負かすために。
だが結局、具志堅さんは普天間の歴史を覆す資料を何一つ見つけることができなかった。
「今考えれば当然のことですよね。それまでの僕はネットで得ただけの知識で対抗していたのですから。僕の完敗です」