米軍基地の反対運動を本土の人間があざ笑う。そんな風潮がネットを中心に広まり、現実の世界にまで及び始めた。『ネットと愛国』『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』などの著書があるジャーナリストの安田浩一さんが、沖縄の人たちが受ける“嘲笑”の実情を3回にわたって報告する。
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沖縄が、また笑われている──。
辺野古(沖縄県名護市)を舞台とした“ひろゆき騒動”(※)に、私は憤りと悲しみ以外のものを感じることはなかった。人を見下したような嘲笑が、真剣な怒りを無効化させる。ネット上でよく見ることのできる「w」(笑いを意味する記号)のカルチャーが現実社会に襲いかかる。
これまでの沖縄取材を振り返れば、私はそうした場面を数多く目にしてきた。たとえば問題の渦中となった辺野古。ここでは新基地建設に反対する人々が連日、抗議運動を続けている。埋め立てに使う土砂運搬用の大型トラックが近づくたびに、人々は路上に座り込む。工事の進捗を遅らせるための、体を張った抵抗だ。参加者の多くは高齢者である。沖縄戦の記憶を残した世代だ。
ときに、そこへ県外から来たレイシスト集団や右翼が押し掛ける。
「じじい、ばばあ」「朝鮮人」「年寄りばかりで臭い」。そうマイクでがなり立てながら、みなで笑い転げる。抗議参加者が集まるテントに飛び込み、「隠れてるんじゃないよ」「風呂に入れ」と罵りながら、また笑う。
“襲撃者”たちの間では笑いが絶えない。差別と偏見が、笑いに包まれた弾となって撃ち込まれる。
ひろゆき氏のふるまいも、似たようなものだ。彼が抗議運動の参加者に向けた嘲笑はネット上で賛同者を増やし、束になって辺野古に集まる人々を貶める。
このたび久しぶりに辺野古を訪ねた。聞こえてきたのは、嘲りの風潮に対するやるせなさだった。
「ひろゆき氏に影響されたのか、茶化すためだけに辺野古に足を運ぶ人も見かけるようになった」
そう話すのは、座り込みに参加している50代の男性だ。