社長就任から10年で、奈良の小さな老舗企業は一躍、全国区の企業になった(撮影/伊ケ崎忍)
社長就任から10年で、奈良の小さな老舗企業は一躍、全国区の企業になった(撮影/伊ケ崎忍)
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 300年続く奈良の高級麻織物の老舗企業を、新ブランドを次々と立ち上げ、蘇(よみがえ)らせた13代目・中川政七。自らの成功手法で地方企業へのコンサルティング事業もスタートさせ、「工芸界の救世主」としても名を知られた。今、中川は地域から盛り上げないと、地方の衰退は止まらないと、家業をスタッフに委ね、新たな挑戦に踏み出している。(文/上阪徹)

*  *  *

 あれから1年が過ぎた。2018年2月13日、中川政七(なかがわ・まさしち)商店の奈良本社に全社員が集まっていた。この日、衝撃的な報告が行われることを、一般社員は誰も知らなかった。中川政七(44)は、ストレートに語った。

「社長が代わるしかないよね」

 300年続く高級麻織物の老舗だった家業・中川政七商店に入社したのは、02年。まだ赤字だった麻織物などを使った和雑貨のブランド「遊 中川(ゆう なかがわ)」に関わり、その後「粋更(きさら)」「中川政七商店」など伝統工芸をベースにした新ブランドを次々に立ち上げた。奈良の特産品・蚊帳生地を使った「花ふきん」など、日本の良品を現代の暮らしに合わせたオリジナル商品は、とりわけ女性に高く支持され、今や全国の商業施設などに55のブランド直営店を展開する。12億円だった年商は、57億円にもなった。

 その後、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、現状把握や商品企画、ブランドづくりを中心に、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。16社のクライアントの中には売り上げが3倍以上になった会社もある。15年、会社は「ポーター賞」を、翌年には日本イノベーター大賞優秀賞を受賞した。だが、中川が見ていたのは、会社のもっと先の姿だった。

「いい会社というのは、いいビジョンといい企業文化、この二つがあるんです。ビジョンはいいけど、文化は物足りなかった。文化は、上から押しつけられるものではない。トップダウンで文化が良くならないなら、トップである僕が辞めれば、文化が変わる。社員を集めたのは、未来を語る場。こういう課題があって、そのためにこうする、と。その一つが社長交代だっただけです」

 とはいえ、衝撃的な発表に「社員が息をのむ音が聞こえた」と現社長の千石あや(43)は語る。

「そうはいっても、中川が指示しているんじゃないか、と思われる人は多いんですが、違います。本当に任されているんです。改めて、とんでもないことをする人だと思いました」

 そして中川はすでに、次のステージの上にいる。

●大学に6年間いて挫折 負けたら何もない

 1974年、中川政七商店の12代社長だった父・巌雄の長男として生まれた。幼少期からしっかりした子どもだったと母、みよ子(70)は語る。

「まだ本当に小さい頃でしたが、主人が車を運転していると、後ろからこう言ったんです。信号が黄色に変わるから、そろそろスピードを落としたほうがいいよ、と。これには主人もびっくりして」

 あるべきものに向かって何かをするという意識が、早くから備わっていた。みよ子は「子どもを引っ張らない、後ろから見守る」を教育方針とした。そんな中、中川は二つの大きな成功体験を得る。小学6年でのサッカー全国大会ベスト8と全国有数の進学校・東大寺学園の受験合格だ。いずれも自分でやりたいと決めた道。難しい両立をこなした息子に、中学入学前、父はこう語った。

「お前はしっかりしているから今、言っておく。これからは好きなようにしていい。その代わり、すべて自分で責任を取れ」

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