ダラス、ミシシッピ川を渡り、アトランタ……シャーロットと北上していく。季節は初秋から冬へと進み、気温は氷点下に突入していく。バスは2~3時間おきにドライブインで停車する。24時間営業のマクドナルドやサブウェイからいいにおいが漂ってくる。売店も充実していて、乗客はピザや菓子類、飲み物を買っていく。阿部カメラマンは売店に入らず、外で写真を撮っていることが多かった。
「なかに入ると、いろいろ食べたくなるんで」
僕の旅につき合わせてしまい申し訳ないといつも思う。30年前も彼はこの旅に同行してくれた。深夜のバスのなかで、空腹に耐えかね、カップ麺の麺をそのまま食べているところを目撃し、本当に申し訳ないと思った。今回またしても……。
僕はといえば、乗り継ぎ時間が長くなると、バスターミナルの床に布を敷いて寝た。バスは満席になることが多く、座ったままの夜が2、3日と続く。
ただバスに乗っているのも悔しいので、ニューヨークでは世界貿易センタービルの跡地「グラウンド・ゼロ」を訪ねた。しかしそれだけだった。夜にはバスが出るポートオーソリティに戻らなくてはならなかった。
さすがにシカゴでは宿に泊まった。安いユースホステル。1泊ひとり37・34ドル。それでもベッドはありがたい。泥のように眠った。起きると、阿部カメラマンが、「体がふらふらしますね」といって力なく笑った。
■高いバスの切符 飛行機の何倍も
こっそりとシカゴからロサンゼルスまでの飛行機の運賃を見てみた。92ドル。僕はシアトルまで225・15ドルのバス切符を買ってしまっていた。
再び長いバス暮らしが待っていた。シカゴから西海岸のシアトルまで丸2日、乗り続けなくてはならない。日本からもち込んだ食料は底を突き、スーパーで買い足した。といっても、食パンにチーズ、サラミ。スーパーで物色するのだが、車内で口にできるものはみつからない。
かつて全米を網羅したグレイハウンドバスも、この路線は放棄してしまっていた。切符は同社のサイトから買うことができるが、運行はジェファーソンラインというローカルのバス会社が受けもっていた。デモイン、アルバートリー、ビリングス……とアイオワ州、モンタナ州などの雪に埋もれた街をつないでいく。メキシコ人の姿が消え、白人の老人が乗り降りするエリアに入っていった。
運転手の年齢も高い。長くこの路線を走ってきたベテランの風格が伝わってくる。発車前に伝える注意事項もマイクは使わず、通路に立ち、笑いをとりながらなまりの強い英語で説明する。伝わってくるのは、運転手の威厳とアメリカの自信だった。トランプ政権がなにをいっても、しっかりと移民を受け入れ、それでも世界一の国だといわんばかりに乗客と接する。