30年前の最終到達地点を少し超えて万歳。なぜここで? アンナプルナのベースキャンプをめざすトレッカーたちは首を傾げていた(撮影/阿部稔哉)
30年前の最終到達地点を少し超えて万歳。なぜここで? アンナプルナのベースキャンプをめざすトレッカーたちは首を傾げていた(撮影/阿部稔哉)
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 お金をかけずにどこまで世界を巡れるのか。30年前のバブル絶頂期に本誌で大人気だった連載『12万円の旅』シリーズが、帰ってきた。筆者で旅行作家の下川裕治さんは、いまや64歳。平成の終わりを目前にしたいま、同じコースで再び“貧乏旅”に挑戦する。第2回はヒマラヤトレッキング編。

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 はたして以前のように歩くことができるのか。今回は旅の費用以前の、僕の体力問題が立ちはだかっていた。当時は30代の半ば。それから30年。筋力は確実に落ちていた……。

 僕はいまでもときどき山に登る。60歳をすぎた頃から、初心者コースでもばてることがあった。この体力でヒマラヤのトレッキングコースをこなせるのか。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)は1990年に刊行され、97年に文庫化された。88~89年にかけて週刊朝日で連載された『12万円の旅』シリーズに加筆したものだ。

 どこまで行って帰ってこられるか。費用には、交通費や宿代、飲食費など、旅にかかるすべてが含まれる。

 そのなかで僕は、ヒマラヤのアンナプルナ山群のトレッキングにも挑んでいた。88年7月のことだ。最高峰は8千メートルを超す。東京から安い飛行機でネパールのカトマンズへ。そこからバスでポカラ、さらに登山口までジープで進み、あとはひたすら歩く。標高4千メートル付近にあるアンナプルナのベースキャンプをめざしたが、雨に阻まれ、クルディ・ガル(2377メートル)が最終到達地だった。

 つらい旅だった。ヒルに血を吸われ、山は雨雲に覆われ、アンナプルナの峰もほとんど眺めることはできなかった。旅の資金は底をつきかけ、下山の途中で目覚まし時計を売り、街に戻るジープ代はビーチサンダルで払い、最後にはヒルにやられて血に染まったズボンまで売った。それでも12万円を980円オーバーした。

 そのトレッキングに2018年11月、再び挑戦した。

 前号の「赤道通過の旅」で、LCCの存在感を見せつけられた。LCCを使うと、30年前に比べ旅の費用はかなり安くなる。東京からカトマンズ行きを検索すると、バンコク乗り換えが安かった。トレッキングにかかる日数がわからなかったため、帰路は現地で買うことになったが、運賃を試算できる。往復で約9万6千円。30年前は11万1640円だったから、1万5千円以上も安くなった。

 しかしLCCにも欠点がある。預ける荷物は有料なのだ。トレッキングだから寝袋や防寒具を持っていかなくてはならない。東京からバンコクまでは、ノックスクートというタイのLCCにしたが、荷物を預ける料金は3200円。なんとか機内持ち込みだけにしたかったが、その重さは7キロに制限されていた。

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下川裕治

下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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