登山口。ポカラからのジープはここに着く。僕らは徒歩のトホホ(撮影/阿部稔哉)
登山口。ポカラからのジープはここに着く。僕らは徒歩のトホホ(撮影/阿部稔哉)

 登山口で状況がつかめた。トレッカーの大半は、ポカラからジープでここまで乗りつけていた。手配会社がポカラにはいくつもあるのだという。しかし、観光局の女性職員は、僕らにバスパークをすすめた。ジープは高いからバスを選ぶタイプ……そういう顔をしていたのだろうか。貧乏旅行者の相? まあ、それで登山口までの交通費はだいぶ安くなったのだが。

■新しいつり橋 長さ287メートル

 気をとりなおして歩きはじめる。1時間ほどでニューブリッジに着いた。橋の手前で立ち尽くしていた。ひざが震える。目の前に長さが287メートルもあるつり橋があった。眼下の川からの高さは100メートル以上? 渡り口の看板には、「2017/2018」と書かれていた。完成して日が浅い。その下には、「馬が渡ってきても立ち止まるな」と注意書きがあった。

ニューブリッジ。早く渡り終えたいと気持ちは急くが、急ぐと揺れる……(撮影/阿部稔哉)
ニューブリッジ。早く渡り終えたいと気持ちは急くが、急ぐと揺れる……(撮影/阿部稔哉)

 30年前、もっと低いところにある短いつり橋を渡った。いったん川までくだり、そこから登るルートだった。高低差は千メートル近くあった。新しい橋のお陰でずいぶん楽になった。車道が延長され、この橋が完成し、トレッキングルートが変わったのだろう。今日の目的地のチョムロンまでの距離は大幅に短くなった。しかしこの橋を渡らなくてはならない。

 揺れる。すくみそうになる足に、「下を見るな。絶対に落ちない」と暗示をかけ続けた。

 急登が待っていた。橋を渡り終えたジヌーの村から、石積みの尾根道がはじまった。息が弾む。30年前、ヒルにやられた道だった。今回は乾期。高い青空が広がっている。

 しかし、体力が落ちた。欧米人の若いトレッカーだけでなく、韓国や中国からやってきたシニアグループにも追い抜かれていく。「ゆっくり、ゆっくり。いつか必ず着く」と自分にいい聞かせて汗を絞る。

 30分登って5分休む。このピッチで進むつもりだった。しかし5分の休憩が少しずつ長くなっていく。やはり年をとった。立ちあがるとき、ザックの重さがこたえる。『12万円で世界を歩く』リターンズだからポーターなど雇えない。

 振り返ると眼下にニューブリッジが見えた。直登路だから高度を稼げる。標高は1900メートルを超えただろうか。

 午後3時。チョムロンの村に着いた。素直にうれしかった。体力は心細くなったが、この村までたどり着くことができた。かつては2軒しかなかった山小屋は、30軒以上に増えていた。山小屋の設備も整ってきていた。200ルピー、約200円を払うとWi−Fiにも接続できる。日本の定食にあたる「ダルバート」は、なかなか本格的な味だった。

山小屋の食堂でダルバート。日本でいったら定食? 700ルピー(約700円)もした(撮影/阿部稔哉)
山小屋の食堂でダルバート。日本でいったら定食? 700ルピー(約700円)もした(撮影/阿部稔哉)

 翌朝5時。トイレに行こうと部屋を出た。

「なにッ?」

 空だと思っていたところにアンナプルナがそびえていた。空の3分の1ぐらいを占めている。30年前は雲に隠れていた。土地の人は、この山を神と崇めている。それでも足りない気がした。

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