細かい技術の積み重ねがリング上の動きに説得力を持たせ、観客の目を引きつける試合につながる。90年代に全盛期を迎える全日本プロレスの土台には、間違いなく馬場の技術論があった。
団体を率いる立場となり久しぶりに若手選手の練習を見るようになると、「自分が馬場さんから教わってきたプロレスのテクニックが時代を経て変容している」と感じるようになった。
「表現が難しいのですが、『なぜそう動くのか』という意味を深く考えず、形だけまねて動いている選手も目につく。それを今は、馬場さんの教えの方向に修正しているところですね」
■馬場チョップは「痛かった」
秋山入団当時はプロレスラーとしては一線を退き、前座で観客の笑いを誘うカードに出ることが定番となっていた馬場。だが、実際に練習で肌を合わせた馬場は「強かった」と秋山は振り返る。
「馬場さんの代名詞であるチョップがありますよね。正直、プロレスに入るまではなめていたところもあります。ところが実際に練習の場で受けてみると、ポンとたたかれただけでとんでもなく痛い。あの大きな体ですから手も大きく、手首の付け根の骨がボコッと盛り上がっていて、そこをぶつけてくるんです」
また、馬場には関節技も効かなかった。
「体が大きいから、関節を極めるポイントがつかめない。練習のときに足を出されて『俺のアキレス腱を極めてみろ』と言われたんですが、極めるポイントが見つからなかったです」
馬場の試合自体も、欠かさずチェックしていた。
「笑いも起きるしゆるい試合と思われていましたが、私は観客の反応、声を一番とらえている試合だと思って見ていました」
あるビッグマッチでは、メインイベントを会場の隅で馬場と一緒に見ながら直接試合の解説を受けたこともある。
「試合が始まってどうすれば相手より有利に見せることができるか、違う団体のレスラーと戦うときはこうやったほうがいい、とか。具体的なことを聞かせてくださいました」
■焼き肉は脂が落ちるからいい
かたや若手レスラー、かたやレジェンドであり社長。会話もできない距離にも思えるが、馬場は積極的に秋山ら若手と交流をもっていた。
「試合が終わると私たちはコスチュームの洗濯などをするんですが、そこから帰ってきたら葉巻を吸ってくつろいでいる馬場さんが『若手はちょっと来い』と呼んで、アメリカ遠征時代の話など昔話をしてくださるんです。むしろ若手のほうが馬場さんのお話をよく聞いていたかもしれませんね」
昼夜を分かたず、共にした時期もあった。
「食事もよくごちそうになりました。晩年はほぼ毎日焼き肉を食べておられましたね。『焼き肉は脂が(網から)落ちるからいいんだ』と言いながら、でもちゃんとバランスを考えてサラダなども食べてましたけどね。シリーズ最終戦には行きつけのキャピトル東急『ORIGAMI』で食事をごちそうになりました」